0423最後の一葉だった。

0423最後の一葉だった。


1.冬が近づいた。


冬が近づいた。
街の通りを抜ける風は、肌寒い。
公園のベンチに座っていると。
ふと、頭上の木から。
一枚の紅葉が、地に落ちた。
最後の一葉だ。


2.最後の一葉を見て、思った。


最後の一葉を見て、思った。
「おめでとう」と。
これでみんなのところへ来れたね。
見渡せば、落ち葉だらけだった。


3.「よく頑張ったね」


だが、こうも思った。
「よく頑張ったね」と。
最後まで、枝に付いていたのだ。
よく頑張った。
ゆっくりおやすみ。


4.「さあ旅の始まりだ」


こうも思える。
「さあ旅の始まりだ」
これから母である樹は、冬支度に入る。
葉っぱの君は。
分解し。
土となって。
根の養分となって。
再び母に還る。
それは、旅だ。


5.植物は、実は賢い。


植物は、実は賢い。
なぜ街路樹は、冬になると葉を落とすのか?
結論から言うと、「体温維持のため」「凍死しないため」だ。
街路樹が冬に入ると葉を全部落とすのは、樹の「冬支度」なのだ。
葉を落とさないタイプもあるが。


6.葉は、水分の通り道になっている。


葉は、水分の通り道になっている。
根から吸い上げた水分は、葉まで運ばれる。
そして光合成に使われている。
残りは葉の裏の気孔から蒸発する。


7.寒い冬に葉を付けていると、体温が下がり過ぎてしまうのだ。


残りは葉の裏の気孔から蒸発する。
蒸発の際、気化熱によって、植物は体温を奪われている。
この作用によって、植物は一定の体温を保っている。
しかし、冬にこの気化熱によって体温を奪われると、体温が下がり過ぎてしまうのだ。
寒い冬に葉を付けていると、体温が下がり過ぎてしまうのだ。


8.「気化熱で体温を奪う装置を分離する」


体温が下がり過ぎれば壊死に至る。
それを防ぐために、樹をはじめ植物の多くは、冬口には葉を落とすのだ。
葉を落とす、つまり「気化熱で体温を奪う装置を分離する」のだ。
これで、冬でも生存体温を保つのだ。


9.これぞ人と自然の関わり合いの縮図だ。


落ち葉を集めて掃除している人がいる。
きれいになったところへ、また落ち葉が落ちる。
掃除が空しくも思えてくる。
だが、これぞ人と自然の関わり合いの縮図だ。


10.はかなげな姿もまた、美しい。


公園の木々がすっかり痩せてしまった。
いや、木そのものが痩せたのではない。
葉が落ちて、ボリュームがなくなったのだ。
だが、はかなげな姿もまた、美しい。
夏と比べても意味がない。


11.冬支度で、スズメたちは皆、丸々と太っている。


スズメがベンチの端に6羽とまっていた。
1羽、また1羽と地面に降りていく。
胸の毛が起きていて、ふかふかしていた。
毛玉みたいだ。
冬支度で、スズメたちは皆、丸々と太っている。
いや、太っているというわけではあるまい。


12.越冬のためだ。


冬にはえさが乏しくなる。
地上は雪に覆われ、木々は実をつけない。
虫たちもいなくなる。
スズメが秋口に肥えるのは、越冬のためだ。
生きるためだ。
人の肥満とはわけが違う。


13.人間には、「食いだめ」「寝だめ」機能はない。


食べられなくなるから、食いだめする。
だから、太っているというわけではない。
スズメ、というか生物全体的には、「食いだめ」「寝だめ」機能がある。
人間には、そのような機能はない。
だから、人間の肥満は非自然的行為なのだ。


14.落ち葉は人間の命のようなもの。


落ち葉には、はかなさがある。
夏の力強さがだんだん衰退していく姿に、はかなさを覚える。
言ってみれば、その落ち葉は人間の命のようなもの。
では、木とは?
「歴史」だ。


15.葉が全て落ちても、木は死ぬわけではない。


葉が全て落ちても、木は死ぬわけではない。
厚い樹皮に覆われて、じっとしている。
冬には芽リン(新芽が入っている外殻)を出して、春を待つ。
春が来れば、芽リンが割れて柔らかい新芽を出す。
そしてまた、青く雄雄しく茂るのだ。


16.人間もまた、この落ち葉のようなもの。


葉は、落ちるもの。
人間も、またしかり。
この、落ち葉のようなもの。
死んでも死んでも、歴史という木は、生き続ける。
冬になって、「自分だけは死なない!」と木にしがみついていたら。
木に迷惑、とさえ言えるかもしれない。


17.悲しむことはない。


悲しむことはない。
葉が落ちても、木は生きる。
やがて春を迎えるのだ。
そしてまた、青葉を茂らせるのだ。


18.私たちは、一枚の葉。


私たちは、一枚の葉。
茂っているときも、落ちた後も。
木に貢献していたし、貢献しているのだ。
歴史という木に。



0423最後の一葉だった。(完)