0464Vita 12

0464Vita 12



12月1日


人生を変えるためには、新しい選択をしなければならない。
といっても、怖いことではない。
何かを選択するとき、「理想の自分」から選択するようにするだけだ。
食事のメニューにしろ、時間の使い道にしろ、理想の自分の目から見て、選択する。


12月2日


クリスマスの朝の子供のように、期待に胸を躍らせて就職したというのに。
最初のハードルであきらめてしまった人の、なんと多いことか。
だが幸いなことに。
リトライの時間はまだ、たっぷりある。


12月3日


思い通りに運ばなくなってきたときこそ。
「取り組み姿勢」が試される。
取り組み姿勢によって、結果が変わる。
取り組み姿勢がダイレクトに結果に反映される。


12月4日


何が起こっても乗り越えることができる方法。
それが、「真剣に取り組む」ことなのだ。


12月5日


行動を起こしても成果が現れない場合は。
「間違った行動をしている」か。
「行動が足りない」か。
そのどちらかだ。
成果はとても恥ずかしがり屋なのだ。


12月6日


決定権が増えれば増えるほど、人生は豊かになる。
住む場所。
暮らし方。
朝起きる時間。
夜眠りにつく時間。
食事の内容。
時間の使い方。
物事のやり方。
などなどに対して、決定権が増えれば増えるほど、人生は豊かになる。


12月7日


好きなことをはっきりさせるための良い方法。
それは、「好きではないことを捨てる」ことだ。
ただし、捨てられないもの=好きなこと、であるとは限らない。
ためらいがあって捨てられない、という場合もある。


12月8日


では、ためらいをなくすにはどうすればよいか?
簡単だ。
「年を取ること」だ。


12月9日


20代は、可能性にあふれ、感動する心も大きい。
だから逆に、挫折感も大きい。
ということを30代でようやく理解する。
そして、あの挫折感はほとんど誇大妄想だったと気づく。
ここから、本当の復活が始まる。


12月10日


自分は、本当は何が好きなのか?
それを考える時間を持つことなく、就職してしまったのだ。
「好きなことでは食っていけない」という観念を味方にして。
「現在の大人が良いと言っている企業の中から選ぶ」という観念を味方にして。


12月11日


その結果。
たしかに、食っていくことには困らなかった。
その代わりに、「なんのために生きているのか?」、生きがいがわからなくなった。


12月12日


「なんのために生きているのか?」
なぜ、生きがいがわからなくなったのか?
好きなことをしていないからだ。
好きなことを持っていないからだ。


12月13日


「好きなことでは食っていけない」と言われた。
しかし、実際はそんなことはない。
好きなことで食っていっている人はいる。
好きなことで食っていけないのは、「本当に好きなことではない」か「他人を喜ばせる度合いが低い」場合なのだ。
つまり、集中力や真剣さが足りないから、なのだ。


12月14日


考えてみると。
好きなことでなくても、集中力や真剣さがを注がない人は、食っていけなくなる。


12月15日


逆境を乗り越えるコツ。
それは、「逆境と感じないぐらいに、自分のやることに集中すること」だ。


12月16日


と言っても、逆境は悪いことばかりではない。
逆境には、好ましい効果がある。
それは、「自分の意思と方向をより明確にしてくれる」ことであり。
そして「やり上げるためのより効果的な手段を発見」させてくれることである。


12月17日


自分の望む生活スタイルが実現してから、味わい、楽しむのではなく。
自分の望む生活スタイルを描くこと自体を味わい、楽しむのだ。


12月18日


一生記憶に残るような、心底「美味しい」と思えるような、ワイン。
そのワインは、20年熟成されている。
この味わいになるまでに、20年かかっているのだ。


12月19日


学校で優秀だった人が、社会人になってぱっとしなくなった。
その理由は簡単だ。
学校で優秀というのは、「大人の求め、期待により正確に応じられる能力が高い」ということなのだ。
学業優秀=順応能力が高いということだ。
ところが、社会に出てからは、求めや期待は半分で、あとは「自分で考えて行う」必要が出てくる。
順応能力の高さは、実績を生成する必要能力の半分に過ぎなくなった、ということだ。


12月20日


しかし、この順応能力の高さは、社会人になってからも十分使える。
どのように使うか?
それは、「社会全体の求めに応じるよう、自分を動かす」ところに使える。
例えば、田舎の実家に帰って、町おこしのために観光業を立ち上げるとか。
町全体を盛り上げる活動をするのだ。
「人々のニーズに応える」
そのような使い方をすれば、その能力は活きる。


12月21日


誰かの希望に自分を合わせる生き方で、得られる喜びは最大90%ぐらいだ。
しかし、誰かの希望に自分を合わせるのを辞め、自分が本当に好きなことを選び突き進む道で得られる喜びは、100%を超える。
つまり、自分でも予想していなかったものになる。


12月22日


好きなことの全体から、一番好きな部分を見出す。
そしてその部分をトリミングして、それを自分の全体にする。
「好き率100%」の人生。


12月23日


つぶしがきく人材になるために、せっせと仕事の勉強をする。
とにかくジャンルを問わず、睡眠を削って人一倍勉強する。
資格も取る。
そして、はたと気がつく。
「どんなに学んでも、自分の人生を切り開くことができない」と。


12月24日


自分の人生を切り開くのは、「好きなこと」「やりたいこと」。
そしてそれに伴う「行動」だけだったのだ。


12月25日


「成功者になりたい」
「豊かなくらしをしたい」
だが、成功がどんな姿をしているのかを知らなければ、成功が現れても気がつかないではないか。
豊かなくらしがどんな姿をしているのかを知らなければ、豊かさが訪れても気がつかないではないか。


12月26日


価値あるゴールを段階的に達成していく。
それが成功だ。
そして価値あるゴールや、何を達成するのかは、自分自身で描くことだ。


12月27日


目的とは何か?
「エネルギーを使う理由」だ。
「ゴールへ向かう理由」でもある。
目的を定めるというのは、理由を明確にする、ということなのだ。


12月28日


好きなこと、やりたいこと、将来の夢。
それを自由に描く。
そしてその後、「目的」、つまりそれを実現させる理由を考えて、はっきりさせるのだ。
すると実現がより確実になる。
逆に、目的をはっきりさせないと、実現が遠のく。


12月29日


第一目標:「貯金を5000万円にする」
「どうして5000万円貯めたいのか?」
「実家に帰ってワイナリーを開くため」

第二目標:「実家でワイナリーを経営する」
「どうしてワイナリーを開くのか?」
「町全体の活性化に貢献するため」「ワインが大好きだから」

第三目標:「町全体をより活性化させる」
「どうして町全体を活性化に貢献したいのか?」
「より多くの人を喜ばせるため」

最終目標:「より多くの人を喜ばせる」
「どうして、より多くの人を喜ばせたいのか?」
「そこまで聞くのか!?そりゃ、なんつーか、もともと備わっている、使命だ」


12月30日


目的つまりそれをする理由が明確であればあるほど、達成率が高くなる。
目的つまりそれをする理由が強固であればあるほど、達成率が高くなる。


12月31日

ゴールの設定や目標の設定のコツ。
①現在形で書く。(「したい」ではなく「しつつある」)
②前向きな表現で書く。
③達成行動に喜びが伴うものにする。
④具体的な数字と達成日(締め切り)を入れる。
⑤目的(それをやる理由)をはっきりさせる。


0464Vita 12(完)

0453Vita 1

0453Vita 1



1月1日


すべての仕事は、サービス業である。


1月2日


仕事をするために必要なものは、2つだけだ。
一つは、「その仕事をするために必要な能力」
もう一つは、「真心」


1月3日


能力と、真心。
それらの土台となるのが、「覚悟」と「思想」である。


1月4日


いいジョークは、何度も言わない方がいい。



1月5日


天才A・アインシュタインは、自らについてこう語っている。
「天才ではない。ただ、人よりも長く、一つことに付き合ってきただけだ」



1月6日


天才の本質は、特殊能力ではないのだ。
天才の本質は、熱狂的な好奇心なのだ。


1月7日


幸運なのは、そのアイデアを思いついた、ということではない。
幸運なのは、そのアイデアが受け入れられた、ということだ。


1月8日


他の人間の、暖かさ。
他の人間の、冷たさ。
そのどちらともに、同じ距離を置く。
すると、体感温度のバランスは保たれる。


1月9日


人間は、約60%が水で構成されている。
だから、水の研究は、人間の研究に通じる。


1月10日


砂漠の砂の中の頭を突っ込んだダチョウが、こう言った。
「ああ、砂嵐はもう収まったぞ」


1月11日


蝶は、もぐらではない。
もぐらでないことを残念がる蝶は、いないだろう。


1月12日


個人という存在の小ささ、むなしさ、無意味さ。
それを感じることは、切ないことであると同時に、幸せなことである。


1月13日


A・アインシュタインの言う、「無限なるもの」。
一つは、「宇宙」。
もう一つは、「人間の愚かさ」。


1月14日


誰もが皆。
愚かさを持っており。
誰もが皆。
愚かさの生け贄となる資格を持つ。


1月15日


エゴと競争心は、公共心と義務感よりも強い。


1月16日


だが、強いものが生き延びるわけでもない。


1月17日


私たちが、完全に正直に行動するのを許されているのは、生まれる瞬間と死ぬ瞬間だけだ。


1月18日


「常識」とは、18歳までに集めて身につけた、偏見のコレクションのことである。


1月19日


自分で自分を責める必要はない。
他人がちゃんと、必要なときに必要なだけ責めてくれる。


1月20日


「言うは易し、行なうは難し」
「他人に対して正しく賢明な助言をすることは、た易い」
「他人に対して正しくて賢明に振舞うことは、難しい」


1月21日


仕事に行き詰ったら?
人付き合いに行き詰ったら?
経済に行き詰ったら?
動物を見つめよう。
動物に触れよう。
動物と仲良くしよう。


1月22日

「死ぬ」ことほど、確実なものはない。
そして、「いつ死ぬのか」ということほど、不確実なものはない。
死は必ずやって来る。
必ずやって来るならば。
それがいつ来るかを考えるのは、時間の浪費だ。


1月23日


手段があまりに高度化し、多様化した。
しかし、肝心の「目的」を見失ってしまった。


1月24日


人間は、高度な知性を備えている。
大災害が起こったとき、「人間の知性はいかに不十分であったか」とはっきり知覚するという、高度な知性だ。


1月25日


心に、平和と平穏を持たせる唯一の方法。
それは、「永遠なるものに関心を持つこと」である。


1月26日


私たちは、自分の思考や感情が、他人と切り離された自分という一個の独自のものとして体験している。
それは意識が生成するある種の錯覚である。
この錯覚は、牢獄であり、古い形の思考である。
この牢獄は、私たちを、自分の欲望や近しい人々への愛情に閉じ込める。


1月27日


人間を人間たらしめるものは、「人間性について決して絶望しない」という信念である。


1月28日


この世界の運命は、この世界に値するものになる。
自分の運命も、この自分に値するものとなる。


1月29日


宇宙からみれば、人間の情熱的な努力による創造は、無限小の現象でしかない。
しかし、その情熱的な努力は、私たちを自己という「牢獄」から解放し、私たちを最も偉大な存在の一員にする。


1月30日


豊かな人を嫌いながら、豊かになりたいと思っても、それが実現するわけがない。


1月31日


心というものは、時として知識や体験を超越した段階に至ることがある。
そして、その到達メカニズムは解明されていない。
しかし、ほとんどすべての偉大な発見や発明は、そのような「飛躍」を経たものである。
飛躍、身につけた知識や過去の体験の延長上ではない地点への着地である。





0453Vita 1(完)

0423最後の一葉だった。

0423最後の一葉だった。


1.冬が近づいた。


冬が近づいた。
街の通りを抜ける風は、肌寒い。
公園のベンチに座っていると。
ふと、頭上の木から。
一枚の紅葉が、地に落ちた。
最後の一葉だ。


2.最後の一葉を見て、思った。


最後の一葉を見て、思った。
「おめでとう」と。
これでみんなのところへ来れたね。
見渡せば、落ち葉だらけだった。


3.「よく頑張ったね」


だが、こうも思った。
「よく頑張ったね」と。
最後まで、枝に付いていたのだ。
よく頑張った。
ゆっくりおやすみ。


4.「さあ旅の始まりだ」


こうも思える。
「さあ旅の始まりだ」
これから母である樹は、冬支度に入る。
葉っぱの君は。
分解し。
土となって。
根の養分となって。
再び母に還る。
それは、旅だ。


5.植物は、実は賢い。


植物は、実は賢い。
なぜ街路樹は、冬になると葉を落とすのか?
結論から言うと、「体温維持のため」「凍死しないため」だ。
街路樹が冬に入ると葉を全部落とすのは、樹の「冬支度」なのだ。
葉を落とさないタイプもあるが。


6.葉は、水分の通り道になっている。


葉は、水分の通り道になっている。
根から吸い上げた水分は、葉まで運ばれる。
そして光合成に使われている。
残りは葉の裏の気孔から蒸発する。


7.寒い冬に葉を付けていると、体温が下がり過ぎてしまうのだ。


残りは葉の裏の気孔から蒸発する。
蒸発の際、気化熱によって、植物は体温を奪われている。
この作用によって、植物は一定の体温を保っている。
しかし、冬にこの気化熱によって体温を奪われると、体温が下がり過ぎてしまうのだ。
寒い冬に葉を付けていると、体温が下がり過ぎてしまうのだ。


8.「気化熱で体温を奪う装置を分離する」


体温が下がり過ぎれば壊死に至る。
それを防ぐために、樹をはじめ植物の多くは、冬口には葉を落とすのだ。
葉を落とす、つまり「気化熱で体温を奪う装置を分離する」のだ。
これで、冬でも生存体温を保つのだ。


9.これぞ人と自然の関わり合いの縮図だ。


落ち葉を集めて掃除している人がいる。
きれいになったところへ、また落ち葉が落ちる。
掃除が空しくも思えてくる。
だが、これぞ人と自然の関わり合いの縮図だ。


10.はかなげな姿もまた、美しい。


公園の木々がすっかり痩せてしまった。
いや、木そのものが痩せたのではない。
葉が落ちて、ボリュームがなくなったのだ。
だが、はかなげな姿もまた、美しい。
夏と比べても意味がない。


11.冬支度で、スズメたちは皆、丸々と太っている。


スズメがベンチの端に6羽とまっていた。
1羽、また1羽と地面に降りていく。
胸の毛が起きていて、ふかふかしていた。
毛玉みたいだ。
冬支度で、スズメたちは皆、丸々と太っている。
いや、太っているというわけではあるまい。


12.越冬のためだ。


冬にはえさが乏しくなる。
地上は雪に覆われ、木々は実をつけない。
虫たちもいなくなる。
スズメが秋口に肥えるのは、越冬のためだ。
生きるためだ。
人の肥満とはわけが違う。


13.人間には、「食いだめ」「寝だめ」機能はない。


食べられなくなるから、食いだめする。
だから、太っているというわけではない。
スズメ、というか生物全体的には、「食いだめ」「寝だめ」機能がある。
人間には、そのような機能はない。
だから、人間の肥満は非自然的行為なのだ。


14.落ち葉は人間の命のようなもの。


落ち葉には、はかなさがある。
夏の力強さがだんだん衰退していく姿に、はかなさを覚える。
言ってみれば、その落ち葉は人間の命のようなもの。
では、木とは?
「歴史」だ。


15.葉が全て落ちても、木は死ぬわけではない。


葉が全て落ちても、木は死ぬわけではない。
厚い樹皮に覆われて、じっとしている。
冬には芽リン(新芽が入っている外殻)を出して、春を待つ。
春が来れば、芽リンが割れて柔らかい新芽を出す。
そしてまた、青く雄雄しく茂るのだ。


16.人間もまた、この落ち葉のようなもの。


葉は、落ちるもの。
人間も、またしかり。
この、落ち葉のようなもの。
死んでも死んでも、歴史という木は、生き続ける。
冬になって、「自分だけは死なない!」と木にしがみついていたら。
木に迷惑、とさえ言えるかもしれない。


17.悲しむことはない。


悲しむことはない。
葉が落ちても、木は生きる。
やがて春を迎えるのだ。
そしてまた、青葉を茂らせるのだ。


18.私たちは、一枚の葉。


私たちは、一枚の葉。
茂っているときも、落ちた後も。
木に貢献していたし、貢献しているのだ。
歴史という木に。



0423最後の一葉だった。(完)

0410利己。

0410利己。


1.他を大切にすることが利己につながればいい。


利己的でないと生き残れない。
それが自然の掟である。
しかし、他を大切にし、共存しようとしないと。
生き残りにくくもなる。
ならどうするか?
他を大切にすることが利己につながればいいのだ。


2.他人をレベルアップさせることを仕事にして。


ということは?
他人をレベルアップさせることを仕事にして。
その仕事でお金をもらえばよいわけである。
物を売るにしても。
相手にメリットがあること。
これを第一にするのだ。


3.自己満足の押し付けであってはならない。


歌や音楽にしても。
自己満足の押し付けであってはならない。
例えば、「〇〇さんのテーマ」
など、1人のための歌をつくる。
すると、作って貰った人は、自尊心が上昇する。


4.作者は、その人の先生でも師匠でもない。


このとき。
作者は、その人の従者ではない。
かといって、先生でも師匠でもない。
立場は対等である。


5.「教えるものは偉い」という先入観が付いてしまっている。


「教えるものは偉い」
という先入観が付いてしまっている。
おそらくは学校が原因。
実は、教える側は、教わる側よりも勉強しなければならないのだ。
教える側の方が「私は未熟者」を痛感している。
だから教える側のとるべきスタンスは。
「共に成長しよう」
であるべきだ。


6.自分のスキルアップの目的。


自分のスキルアップの目的。
それは、他人のレベルアップの質を上げるためだ。
でなければならない。
他人のレベルアップの幅が上がること。
これによって、当然自分の報酬も上がる。
しかし、報酬は求めるものではない。


7.求めるもの。


求めるもの。
それは、他人のスキルアップ
そしてそれによる、他人の仕事の質の向上。
そしてそれによる、より多くの人の喜び。


8.月収50万分のサービスを続けていれば。


月収15万しか稼いでいない人は。
月収15万分しか他人へサービスしていないということだ。
月収50万分のサービスを続けていれば。
月収15万の収入で収まるはずはない。
必ず変化する。


9.スキルアップは実践と並行して行うことだ。


スキルアップは実践と並行して行うことだ。
サービスした相手から頂くものは。
「感想」
「要望」
である。
その次が「料金」である。


10.何か物足りない。


どんなに完璧な仕事ぶりでも。
何か物足りない。
そう、心は感動したがっているのである。
完璧が物足りないのは。
感動が排除されているからだ。


11.大切なのは完璧さではない。


大切なのは完璧さではない。
感動するシナリオなのである。
完璧さは、記憶に残りにくい。
感動は、ほとんどみんな記憶に残る。


12.歴史に名前を残した人々は。


歴史に名前を残した人々は。
ほとんどの場合「多くの人を感動させた人」である。
例えば、奴隷から国王になった人。
中途採用から世界企業の社長になった人。
障害者から国民栄誉賞になった人。
死に様が劇的な人。
全てを手に入れておきながら、潔く手放した人。
そんな人だ。


13.寂しさを何とかする。


寂しさを何とかする。
行動する。
自分を変える。
克服する。


14.今すぐ行動する。


今すぐ行動する。
人に会いに行く。
人と会う予定を立てる。
自分から話し掛けていく。
誘う。



15.仕事を増やす。


仕事を増やす。
仕事に集中する。


16.人の集まりに参加する。


人の集まりに参加する。
手紙を出す。
メールよりも、はがき。
別れた人を忘れる。


17.片っ端から、新しい場所へ行く。


片っ端から、新しい場所へ行く。
休日は、ライフワークをする。
お酒をやめる。
早起きする。
日記をつける。
お金を貯める。


18.1人でやっている物事を、他人を入れてやってみる。


今まで諦めていたことを、諦めない。
プライドを捨てる。
ライフワークを持つ。
1人でやっている物事を、他人を入れてやってみる。
ひとり占めの領域を減らす。


19.会話のないところへ行くのを減らす。


会話のないところへ行くのを減らす。
仕事を変える。
このまま粘る。
本を読んで、偉大な人物に学ぶ。


20.人生は所詮ゲームに過ぎない。


人生は所詮ゲームに過ぎない。
腹をくくる。
ときに任せる。
今やるべきことをやる。
ストレス解消行動を、断つ。


21.やる気が出ないサイクルを変える。


やる気が出ないサイクルを変える。

①やる気が出ない。

②仕事がつまらない。

③ストレスがたまる。

④ストレス解消行動に走る。

⑤時間とお金を失う。

⑥やろうとしていたことができない。

⑦諦める。

⑧朝起きて、ブルーになる。

⑨①に戻る。


22.ストレスの解消は、「仕事に全力を出す」ことが一番である。


ストレスの解消は、「仕事に全力を出す」ことが一番である。
ストレス解消行動は、ものによっては新たなストレスを生み出す危険がある。
例えば、深酒やパチンコ等。

今日やるべきことをきっちりやる。
ちょっと無理な目標を立てる、それをクリアしてみせる。
するとやる気が生まれる。


23.それで万事 OK だ。



どんな場所でも。
1人の人と出会い。
深く付き合えるなら。
それで万事 OK だ。


24.1人の人と出会い。


1人の人と出会い。
その人から多くのことを学ぶか。
その人から一つのことを学ぶか。
それでいいのだ。


25.ここまで来たというのは。


ここまで来て。
もう後戻りはできない。
ここまで来たというのは。
「距離の長さ」のことではない。
「年齢」のことでも、実はない。
「積み重ねた経験」、のことだ。


26.独立してしまえ!


独立してしまえ!
サラリーマンよさらば。
熱く深く高く潔く生きたいならば。
それしかないのだ。


27.「所詮は雇われの身」


サラリーマンでどんな実績を上げても。
名前は残らない。
それは何故か?
「所詮は雇われの身」だからである。


28.「君が好きだ」というだけでは証明の50%に過ぎない。


彼女のことが好きならば。
それを証明するために。
「君が好きだ」というだけでは50%に過ぎない。
残りの50%は?
成功することだ。
成功しなければならない。
ビッグホワイ(なぜそれをしなければならないのか)は、彼女によってもたらされた。


29.「無知な人間を食い物にする」資本主義社会。


力のある人にならなければならない。
何でもありの人にならなければならない。
そうしなければ、この「無知な人間を食い物にする」資本主義社会に打って出る事はできないからだ。
また、大切な人どころか自分を守ることすらも、できない。


30.男たるもの、余裕を持つべし。


土曜日の朝っぱらからゴルフに出かける男になれ。
それは比ゆ表現だ。
要するに、「余裕がある男になれ」ということだ。
男たるもの、余裕を持つべし。


31.普遍的な「鉄則」が、そこに必要である。


絶対に諦めてはいけない。
これからどうしていくか。
細かな計画を立てるだろう。
しかし、普遍的な「鉄則」が、そこに必要である。
それが、「決めたら、絶対に諦めてはいけない」である。


32.目標達成のためなら何でもする。


目標達成のためなら。
何でもする。
その心構えが必要。
「犯罪でもやるというのか?」
そんな心配はご無用。
達成の手段に犯罪が必要な目標は、普通立てることはない。


33.「一生やらないこと」を決める。


「一生やらないこと」
これを決めること。
これもとても大事なことであり、素晴らしいことである。

人は、経験したことでしか、本当の意味を理解しないものである。



0410利己。(完)

0347アメリカの州の語源。

0347アメリカの州の語源。




1.アリゾナ



パパゴ族の言葉で、「小さな温泉地」の意味。



2.インディアナ



土地開発会社が、この地に住んでいたインディアンに敬意を表して名づけた。



3.ウィスコンシン



チペワ族の言葉で、「水が集まる場所」の意味。



4.オクラホマ



チョクトウ族の言葉で、「赤い人々」の意味。(okla(人々)+homa(赤い))



5.オハイオ



イコロイ族の言葉で、「美しい水」の意味。



6.カリフォルニア



地上の楽園と言われる架空の島の名前。スペインの探検家が命名



7.ケンタッキー



イコロイ族の言葉で、「大草原、牧草地」の意味。



8.コロラド



スペイン語で「赤い」の意味。コロラドを流れる川が赤い水をしていたため。



9.テキサス



カド族の言葉で、「友、味方(texia)」が語源。



10.テネシー



チェロキー族の町の名前Tanasiが語源。



11.デラウェア



初代州総督の名前「Lord De La Warr」が語源。



12.ニュージャージ



英仏海峡ジャージー島出身のジョージ・カートレットが、故郷にちなんで名づけた。



13.ニューハンプシャー



イギリスのハンプシャー出身のジョン・メイスン大佐が、故郷にちなんで名づけた。



14.ニューヨーク



イギリス王チャールズ2世の弟Duke of Yorkが語源。



15.ネバダ



スペイン語で、「雪に覆われた土地」の意味。



16.バーモント



フランス語で、「緑の山」の意味。(vert(緑)+mont(山))



17.ハワイ



ポリネシア語。Hawaは「住む場所」、iiは「小さい、新しい」の意味。



18.フロリダ



スペイン語で「花がたくさんの地」の意味。



19.ペンシルベニア



シルベニアはラテン語で、「木のおい繁る土地」の意味。ウィリアム・ペンが名づけた。



20.マサチューセッツ



アンゴンキン族の言葉で、「mass adchu seuck(大きな丘に暮らす人々)」の意味。



21.メリーランド



イギリス王チャールズ1世の妻Henrietta Maria(アリエッタ・マリア)が語源。



22.モンタナ



スペイン語で、「山ばかりの土地」の意味。



23.ユタ



「ユート族の土地」の意味。



24.ルイジアナ



フランスのルイ14世にちなんで名づけられた。



0347アメリカの州の語源。(完)

0317達人への道。

0317達人への道。


自分が、全力を投じて創造した作品は、素晴らしいと思うもの。
そして、それを作れたことで自信を持つものだ。
だが、作品に素晴らしさを感じ、そこから自信を供給して貰っている状態のままで。
その作品を世に出すのは危険である。


と言うのも、「世の中の評価」=「作品」=「自分の自信」
というリンクができてしまっているからだ。
世の中の評価が、自分の自信とリンクしているところが危険なのだ。
何故それが危険なのか?


上がると上がる。
下がると下がる。
つまり、世の中の評価(売上)が、上がると自信も上がる。
しかし、世の中の評価(売上)が、下がると自信も下がる。
すると、自信は、評価に対して受動的になってしまうのだ。


では、評価と自信をリンクさせないでなおかつ自信を保つにはどうすればよいか?
素晴らしい作品を生む。
それで自信を持つ。
だがその作品を、世に出さない。
切り捨てることだ。


もしくは、世の中に渡しておいて「自分自身」を消すことだ。
要するに、作品は世に出すが、自分自身を世に出さないことだ。
企業に渡した作品が企業から「これは素晴らしい。世に出しましょう」と言われたら。
自分自身が作品と切り離れることだ。


その後、その作品が企業の方でどう扱われてもほうっておくことである。
世に出された作品は、「世の中のもの」。
そう考えることだ。
その方が、世の中の人か手に取りやすいのだ。


作品を作って世に渡す。
その作品は「世の中のもの」と考える。
1人歩きさせることだ。
こうすれば、自分自身の自信と世間の評価がリンクしなくなる。


ここで大事なことがある。
それは、作品は切り捨てても、自分の中に熱いものが残っていることだ。
そうすれば、また新たに素晴らしい作品をつくることができるからだ。
ということは、そのような作品をつくることが大事なのだ。
要するに、「制作するプロセスにおいて、情熱がそそげるもの、既に感動があるモノ」である。


本は不動産。
そう思っていた。
だがそうではない。
本は、商品に過ぎない。


本だけでなく、どんな商品であれ。
「魂のこもったモノ」
「魂を込めて創作されたモノ」
それが、不動産となる。


不動産。
読んで字のごとく、「そこに在ることで価値を生み続けるもの」。
魂のこもった作品は、世に出ようと出まいと、触れた人の心に残る。
そして価値を感じさせ続ける。


すると、その人が気づくようになる。
あらゆる出来事の中に、その作品を見たり。
逆に、その作品のあらゆる意味から、一つの出来事を今までとはちがったモノとして見るようになったりできるのだ。
価値を生むきっかけとなるのだ。


そう、魂のこもった不動産作品は、それ自体に価値がある。
というより、外気と接触することで、価値が生成されるものなのである。
ドライアイスのように。


ドライアイスは、二酸化炭素を固体化したものだ。
外気に触れ、外気との温度差によって揮発する。
モクモクと二酸化炭素の蒸気を出すのだ。
ドライアイスの本体が不動産作品である。
外気は、日常の出来事。
そして、ドライアイスが出す蒸気が「価値」である。


達人が、竹を一刀で切り落とす。
観客は、「おお!!」と感嘆する。
だが、達人はおごらない。
「このようなことはたいしたことではない」と言う。
これは、謙遜でも我慢でもない。
余裕からそう言えるのだ。


すごいと言われた時。
「たいしたことはない」と謙遜する人は2タイプある。
①本当はすごいと思っているが、我慢している人。
②本当にすごいと思っていない。簡単なことをしただけだと思っている人。


この違いはどこから来るのか?
ストックされた技量の差からである。
ストックされた技量とは、「水面下の体積」のことである。


水面下の体積が大きい場合。
一つの技を見せたぐらいで有頂天にならない。
それどこか、「まだまだだ」と本心から言う。
決して自慢しない。
なぜなら、「1000在る技の一つを出しただけ」に過ぎないのであって、全然全力を出していないからだ。


逆に、一つの技を自慢し図に乗るのは、ストックが少ないからだ。
ストックが少ない場合、一つの技を披露すると「自分の50%は出した」と感じる。
大きく失った感じがする。
だから、それを埋め合わせるものを求めるようになる。
称賛を求めるのだ。
それで自慢をするのだ。


映画「インディペンディエンス・デイ」。
その映画の中で、ウィル・スミスがわめき散らすシーンがある。
UFOを撃墜し、その中から引きずり出したイカみたいな異星人を蹴りたくるシーンだ。
「ちくしょう!どうだ!どうだオラ!」と絶命した異星人を蹴りまくるのだ。
何故そんなことをするのか?
こちらの命が危なかったからだ。


もうダメかと思っていたのだ。
それが何とかなった。
命がつながった。
だから、喜びよりも失った感の方が大きくて、それを埋める必要があったのだ。
それを埋めるために「勝ち誇る必要があった」のである。
地球人は、突如訪れた異星人に対して決して余裕が持てなかったのだ。


一つの技を決めて見せて、「どうだ!!」と言うのは、ストックが少ないからだ。
ストックが山ほどある人は、「まだまだだ!!」と言う。


人生を全て投入したような、凄まじい作品をつくる。
それを見た人は、「この人はすごい。精一杯やったな。見返りを求めているだろうな」と考える。
ところが本人は、ちっとも見返りを求めていない。
そんなことがあり得るのだ。
それが「達人」なのだ。


「達人」を分析してみよう。
剣の達人と、そうでない非達人の違い。
それは、「技をどう捉えているか」である。
非達人は、「技で相手を斬る」ことを考えている。
相手を斬った場合、「成功だ」と喜ぶのだ。


達人は、そうではない。
斬っても斬らなくてもよい。
技を磨くのである。
技を試すためのきっかけとして相手と闘っているに過ぎないのだ。
つまり、「斬り倒すべき敵などどこにもいない」のである。


要するに、「なぜ相手を斬るのか?」の答えが、達人と非達人で異なるのだ。
達人は、こう言う。
「技を試したことの結果に過ぎない」と。
つまり、相手を倒すことを求めていない。
ただ、技がとても優れていて、やはり相手を斬ってしまうということだ。


達人は、相手に勝っても喜ばない。
「勝った」などと言わない。
だが、そこに喜びはある。
相手に勝ったことに対する喜び、ではない。
技が磨かれたことが分ったことに対して、喜んでいるのである。


逆に非達人は、「勝った」ことを喜ぶ。
技は、相手を倒すための道具、ということである。
試合に臨んだ時、達人は「技のやりとりを楽しむ」が、非達人は「勝利を求める」。
ゆえに、非達人はいつまでも敵を必要とする。


人生の達人と非達人。
非達人は、嫌いな相手を理論で打ち負かすことを求めている。
上司よりも賢くなり、上司をへこませることを求めているのだ。
だが、達人は、勝つことや打ち負かすことなど考えていない。
技を磨いて、試しに世に出してみるだけである。


それでたしかに、達人にへこまされる人も出てくるだろう。
だが、不思議なことに、打ち負かされても不快にならない。
「負けた」とへこまない。
負けや勝ちなどないような感じがする。
達人に包まれているような感じがするのだ。


非達人の理論は、武器として使われる。
そして、相手を倒し、勝つために使われる。
だから、負ける人を生産しているとも言える。
負かされれば、憎しみを持つ。
そしていつか、自分も同じ目に遭うことになる。


例えば著書や講義で「こんな人はダメだ」「こんな人は三流だ」「こんな人は二流だ」と言っている人がいる。
すると、いつしか力は逆転し、ダメだと言っていた人に叩かれるのだ。
世に叩かれるのだ。
なぜなら、「負け」を貰った人は、「勝ち」を得た人に、「負け」を与えたくなるからだ。


達人にとって、理論は武器ではない。
自分の人生を磨くための道具であり。
磨いている姿を公表するための道具である。
だから、その理論に触れた人は磨かれる。
そして、その理論に触れた人は自分も公表しようと考えるようになる。


つまり、勝ちを求める人は、周りの人に武器を渡しているようなものである。
成熟を求める人は、周りの人に、自分を磨く道具を渡しているようなものだ。
「刀か本か」
「美人認定証かエステ道具か」
どちらを貰うのが嬉しいだろうか?


達人のもう一つの特徴。
それは、「私は苦労してここまで来た」なんて言わないという点だ。
大抵こう言われる。
「運が良かった。恵まれた」と。
人に与えるべきなのは「果実」であって、「収穫の苦労話」ではないのだ。
苦労話を聞かされて、気分が良くなる人はいない。


成功なんて簡単なのだ。
人に喜ばれることをするだけだ。
そのためには、喜ばれるものを与えればよい。
果実を与えればよいのだ。


ところがそれができない。
いや、果実は与えられるのだが、「オレはこれを育てて収穫するまでこんなに苦労したんだよ」
という苦労話まで与えてしまう。
与えずにはおれないのだ。


それで、果実と苦労話を貰った人は、果実を貰ったことを素直に喜べないのだ。
逆に申しわけなくなり、じゃあもう果実は要らないよとなるのだ。
苦労話は与えないのが達人である。


0317達人への道。(完)

0296プライベートメモ2014(結)

0296プライベートメモ2014(結)



158.「ヒントは転がっている。ヒントは転がしている。」


ヒントは転がっているだけではない。
実は、自分で転がしている。
そう、自分の発言や行為だ。
その中にも大きなヒントがある。
ただそれに気づいていないだけだ。

だから、「外」にばかりヒントを求める。
〇〇教室やセミナー、研修、勉強会、サロンなどに参加して、ヒントを得ようとする。
だが、「自己客観力」が身につけば、自分の発言や文章、行動や反応から、沢山ヒントが得られるのだ。


159.「意味の創造により、出来事が自分の物になる。」


物事の本質を知るコツの一つ。
それは、起こったことを、「これは意味があって起こっている」と考えることだ。

意味があるという前提で事に当たれば、「何か学べる、何が学べるか?」という学習意欲も高まり、物事を深く知ろうとするのだ。
もっと深く知るコツは、「実は特に意味はなかった」というところまでたどり着き、「では自分で意味をつけようか」と意味を創造してしまうことだ。


160.「心の中に、木を育てよう。」


自分の作品が幹であり枝である。
流れる養分は、思考であり感情であり、知恵であり思いである。

根っことは何か?
それは、入力できるところである。
例えば会社、本、〇〇会などだ。
入力できる行動ができるところ、それが根っこだ。

根っこから養分が自分の中に入ってくる。
人の知恵や、自分の体験、アイデア、ひらめき、発想、手段などだ。
本を読む行為、旅に出る行為、会社で働くこと、サークルやゼミに参加すること。
そうやって根っこを広げれば、養分も沢山吸収され、作品という幹や枝もどんどん大きく伸ばすことができるのだ。


161.「勉強すればするほどに、現実からも学ばねば。」


そもそも学問や知識は、無限とも言えるこの現実世界から何かを得て、記述し、体系化したものだ。
だから、知識や学問という有限なもので、無限である現実世界を理解しようとすること自体、無理な話だ。
無理に「こういう法則があるからこうである」と当てはめても、それは、誤りの場合が多くて当然なのである。

知識や学問を否定するわけではない。
学問は現実を学ぶヒント、参考として非常に有益だからだ。
だが、知識や学問を得たからといって、解ったつもりになるものではないということだ。

世界は無限である。
まだまだ、海底や地底や遺伝子は謎に包まれている。
学問はまだまだ改良発展を続ける。


162.「恐いもの知らず。」


上司に反対意見を言ったり、ルールを破ってみたり、新しいものを作ってみたり、それがタブーに触れていたり、それでも次々と発想していく人がいる。
周りの人は、そういう人を見て、「あいつは恐いもの知らずだ」と言う。
だがそういう人にも恐いものが、ある。
それは、「自分の閃きを止めること。自分の内にあるアイデアの源泉に栓をしてしまうこと」だ。
恐いもの知らずの人は、実は、恐いもの知っている。


163.「元手ゼロで無限に広がる、魔法の贈り物。」


贈り物をすると、あげた人も貰った人も嬉しい。
だが、何の気持ちも込めず、辞令的な贈り物では、贈り手も貰い手も、あまりうれしくないだろう。
贈り手の元手ゼロ、そして送り手も貰い手も、第三者までもうれしくなる魔法のような贈り物がある。
それは、「上機嫌」だ。
貰い手も、扱いに困ることはない。
それどこか、もらった時の喜びを他の人へ伝えたくなり、輪が広がっていく。


164.「上機嫌を取り戻そう。」


どうやら人生を豊かに生きるコツは、「上機嫌で過ごすこと」だ。
いたってシンプルだったのだ。
何の準備も技術もいらない。
費用もいらない。
そして、条件もいらない。
さらには、尽きることはない。
ほとんど無限にあるものだ。

上機嫌を自分の周りにまき散らすことで、自分も周りも楽しくなる。
そして、心が豊かになる。
人生をよりよく豊かに生きようと「お金や地位を求め、自分を磨き、向上しようと努力するうちに不機嫌になっている」ことはないだろうか?
人生をよりよく豊か生きようとするあまり、一番大事なコツ「上機嫌」を失っていやしないだろうか?


165.「ヒントは自分の中にある。」


新しい作品なり文章作りなりに行き詰まりを感じたら、今まで作ってきたものや書いてきたものを見返してみることだ。
そうすると、そこにヒントが見つかる。
新しい作品づくりのヒントや、より深い文章のヒントが見つかる。

新しいものを次々と作るには、「広がる作業」と「深める作業」を両方行うことだ。
前者は、まだやっていないことをやるという意味だ。
誰も踏み入れていない新雪を歩くようなもの。
そして後者は、今までやったことをさらに深めるという意味だ。
自分の中を掘り進んで新しいものを見つけるということ。


166.「達成感が、次の行動のエネルギー。」


作品が完成したとき、大きな喜びが生まれる。
達成感や満足感、そこから来る自信などが生まれる。
しかし、そこをゴールと考えないことだ。
達成をゴールとしないことだ。
たしかに、一つの作品の完成というゴールではある。
しかし、達成感によって自分にエネルギーが充填され、自信がついてきたのだから、それを使って次へとスタートするべきなのだ。


167.「決定は易し、実行は難し。」


決めるときは、簡単だ。
「やりたいことをやろう」でいい。
やりたいから、それをやると決めることに何の抵抗もないのだ。
ところが、いざ実行しようとすると、「やっぱりやめようかな」という考えが生じてくるものだ。

実行時の自分は、もはや決定時の自分ではない。
「やるべきか、止めておくか」と考える。
それが、優柔不断というヤツだ。
優柔不断をなくすには、「決めたことは必ずやり遂げる」というルールを作ることだ。


168.「簡単にできてしまうと、成長はない。」


決断力というのは、正しい答えを選び取る力ではない。
決めたことをやり遂げる実行力だ。

小さな頃から計画を守った試しがない。
小中高の頃の、夏休みのライフスケジュール。
宿題処理スケジュール。
試験勉強のスケジュール。
資格取得スケジュール。
決めておいて、ほとんどその通りにはならなかった。

だが、それなりに楽しく過ごせたし、宿題も仕上げたし、テストも何とかクリアした。
資格も取った。
器用にやれてしまった。
そうだ、だから、いつまでたっても決断力がついていないのだ。


169.「新人さんに仕事を教えるコツ。」


新人さんに仕事を教えるコツがある。
それは、「手順をきっちり教えること」それよりも。
「やる気にさせること」だ。

「面白いですねー。なんでこんなに上手にできるんですか?スゴーイ。やってみたい。やってみていいですか?」
新人さんの口からそう言わせるように持っていくことだ。

そのためには、自分が上手にできなくてはならない。
上達してなければならない。
はじめから手順をガチガチに教えると、やる気は下がっていく。
「またあの先輩の指導か。しんどいな」
そんなストレスを与えると、新人さんは早々に辞めていく。
という経験を、あなた自身も持っているはずだ。


170.「豊かな状態。」


心が豊かな状態とは、沢山の物を持つとか、好きなものを手に入れたとか、衣食住や人間関係や仕事がうまくいっているというだけでは、なり得ない。
それらは、豊かさの半分だ。
では、もう半分とは何か?
それは、「出力していること」だ。
自分の持っているもの、力、心、体、労力、お金、時間、それらを周りのために使うこと。
これがあってこそ豊かな状態に到達する。
つまりは、入力と出力。
この両方を行うこと。
そして、この両方のバランスがとれていることが大事なのだ。
と、肺も心臓も言っている。


171.「入力と出力は常に「出力が先」。」


「あの人は豊かだから、あんなに周りの人に施しができるんだ」
と人は言う。
だが真実はそうではない。
「あの人は、あんなに周りの人に施しをしていたから、豊かになったのだ」
それが真実だ。

入力と出力は常に、出力の方が先なのだ。
赤ちゃんは、生まれた瞬間「オギャア」と泣く。
息を大きく吸って、肺に空気を溜め込んでからオギャアと泣くのではない。
肺の中に空気がない状態でオギャアと泣くのだ。
泣くことによって、横隔膜を圧迫し、反動で肺に空気を取り入れるのだ。
つまり、出力が先なのだ。
そして、最後は息を吸うつまり入力するのだ。


172.「息を引き取る。」


私は、祖母の最期の瞬間を看取ったことがある。
心拍がゼロになった瞬間だった。
祖母の口は、息を吸ったのだ。
吸ったまま止まった。
これは、体内の圧力がなくなることで大気圧によって肺に空気が入ったつまり、吸ったわけではなく、ただ単に圧力バランスによる現象という説もある。
また、「あの世に転生し暮らすための準備」という説もある。
いずれにせよ、「息を引き取る」という言葉通り、最期の瞬間は息を吸うのだ。
つまり入力するのだ。
産まれた瞬間は出力する。
最期の瞬間は入力する。
これでバランスがとれている。


173.「自ら学び続けたことは、やがて人に自然に教えてあげられるようになる。」


大事なのは、知識の内容ではない。
知識の量や専門でもない。
「自ら進んで学んだかどうか」、その姿勢だ。
その情報を、自分の力で取り込んだのか、それとも外も力によって押し込まれたのか。
自ら進んで学びに行ったことは、やがて人に、自然に教えてあげられるようになる。
「学び」という入力は、自然に「教え」という出力の態度を作るのだ。


174.「どこからでも学べる。どこまででも学べる。」


自分のやりたいことや、自分に合った仕事や、生きがいや、師匠は、「探す」ことでは見つからない。
探していると、今目の前にあるものがどんなものであれ、「これは違うかもしれない」と思ってしまうからだ。
探し始めると、きりがない。
「もっといいものを」となるからだ。
探して見つかるゴールはこうだ。
「探していたものは、どこにもない」
どこにもないということは、どこにでもあるということだ。
探すのをやめよう。


175.「「何を」よりも「どのように使うか」。」


プレゼントがたとえ、200円そこらのケーキであったとしても。
それが、「メッセージカード付きのおせんべつ」として貰ったものであれば。
自分が200円そこらで買って食べるケーキよりも、はるかに価値があると思える。
「何を」よりも「どのように使うか」。
それによって、モノの価値は大きく変わるのだ。
最も典型的な例は、「ラブレター」。
一枚10円にも満たない紙が、そこに書かれた熱い思いによって、価格が定められないほどの価値のあるものとなる。


176.「先生から電話。」


自分より弱い立場の人をいじめると、親御さんから、そして先生から、電話がかかってくる。
ここでの先生とは、学校の担任教師ではない。
神様である。
人をいじめたり、存在を否定したりすると、やはり神様のような存在がどこからか見ていて、自分を懲らしめようとするのだ。
例えば、自分より強い立場にある人を使って、自分に電話をしてくるのだ。


177.「一番の損。」


一番の損は、失うことではない。
持っているのに出さなかった、使わなかったことが、後から考えれば、一番損だ。
なぜなら、持っているものを出して使って無くなった、失ったとしても、明日「使ったという経験が、生きてくる」からだ。
次はもっとうまくやれるようになる。
失ったというのはつまり、経験を買ったようなものだ。
失っても、また違うものが手に入ってくる。


178.「ムッとクッション。」


何も言わずにぶつかられると、ムッとする。
「すいません」と言いながらぶつかられると、ややムッとする。
「すいません、ぶつかります。失礼します」と言った後でぶつかられると、ほとんどムッとしない。
言葉は、内容よりもそのタイミングが大事だ。
先に言う。
すると、それがクッションになる。


179.「一番の思い出。」


「一番の思い出」とは、一番印象に残っている思い出とは限らない。
年を重ねると、それがわかってくる。
なんでもない事柄を含め、すべての記憶の連なりが、すべて「一番の思い出」なのだ。

10数年前、家族でスキーに行って、その帰りに「ラーメンを食べるか、カレーを食べるか、丼を食べるかで、家族全員で迷った」。
そんな、子供の頃のどうでもいいようなワンシーンを、ふと思い出す。
それが、幸せな気持ちを作り出したりする。
何でもない事も、大切な思い出だったのだ。


180.「学ぶ。」


①転んだ時の方が期待できる。転ぼう。
②どでかいラッキーは、突然現れる。焦らず諦めずコツコツと続けて行こう。
③チャンスの兆しは、何度も現れる。一度に入れたからといって、落ち込むのはまだ早い。
④大負けしよう。ギャンブルは娯楽であって、これでお金稼ぎをするもんじゃない。
という学びを、パチスロで得た。
もうこりごりだ。


181.「悪のエネルギーを求めて行こう。」


成功するまでには、多大なエネルギーを要する。
自分のエネルギーのうち、最大の物は何だろうか?
愛?
恋?
慈悲?
否、怒りだ。
憎しみだ。
怒りや憎しみが、エネルギーとしては最大のものだ。
怒りのエネルギーを活用すると、成功するのだ。
しかし、良心がなければ成功は続かない。
だから、成功したら、善人に戻らなければならないのだ。


182.「成功ノウハウが役に立たない理由。」


多くの「成功の法則」や「成功ノウハウ」が、まったく役に立たないばかりか、凡人をさらに貧困にしてしまうには理由がある。
成功法則や成功ノウハウは、「成功者が自分を善人に戻すために自分に向けて書いているもの」だったのだ。
だから、成功していない人がそれを受け入れると、逆効果になる。
お金無しの善人になってしまうのだ。
成功するまでは、善は捨てて悪になることが必要だったのにだ。
(悪と言っても犯罪者になるということではない。欲望のままに突っ走るということ)
お金無しの善人になってしまうと、成功するエネルギーがなくなる。


183.「求心しよう。」


とは言え、悪人だと周りの人に嫌われる。
それでは成功できなくなる。
だが、悪のエネルギーが欲しい。
ではどうすればよいか?

人が嫌がってやらないことをやるのだ。
人が「そんなことするのはかわいそうだ、大変だ、死ぬかもよ」というようなことをやることだ。
誰もが行かないその先に、行くことだ。


184.「面倒くさいことをしよう。」


例えば、社内で一番しんどい仕事を引き受ける。
主任職でありながら、係長レベルに働く。
誰かの失敗をカバーする。
手柄を人に渡す。

賞与のないパートタイマーでありながら、正社員と同じ働きをする。
国立大学を卒業していながら、自営業をする。
幹部候補エリートの道に乗っていながら、そこを降りて、汗にまみれる。

「面倒くさいから私はやりたくない」という仕事を肩代わりする。
自分を追い込むことだ。
それが後々、自分の未来を創る。


185.「たまっても、出さない。」


悪感情が沢山溜まった時。
大事なことは、「それを表に噴出しないこと」だ。
求心力が薄れるばかりか、せっかくハイリスクで手に入れた強いエネルギーを無駄に消費してしまうことになるからだ。

愚痴など言うべきではない。
会社や人の悪口を言うべきではない。
なぜなら、悪感情は、「自分の創作エネルギーにすべて変換しなければならないから」だ。
外に吐き出すなんて、「もったいない限り」だ。


186.「悪感情は、自分の成長のためにある。」


怒りを外に出さず。
ではどうするか?
我慢するのか?
いやそうではない。
「使う」のだ。

仕事に使うのだ。
自分の成長のためにすべて使うのだ。
気がおさまるまで使うのだ。
「逆境に遭った人が成功する」と言われているが、実はそうではなかったのだ。
「怒りのエネルギーを創造的に使った人が」成功するのだ。


187.「悪感情を使いこなす。」


逆境に対する悪感情(怒りや憎しみ)を、表に出さずに内なるものを創ることに使った人が成功するのだ。
「逆境に遭った人が成功する」というなら、この世は成功者だらけのはずだ。
悪感情を自分の仕事に使って「お金の流れ」を作った人が、成功するということだ。


188.「お金に自意識はない。」


お金には、人を選ぶ力はない。
お金は、生物ではなく物質である。
お金は、お金が集まっているところへますます集まるという習性があるだけだ。
と言っても、お金に意識があるわけではなく、世の中のしくみがそうなっているだけだ。

昔から、「金もうけは悪」などと言われ、お金を汚いもののように思われたりもしてきた。
だが、お金は生物ではなく物質である。
お金に自意識はない。


189.「お金に悪気はない。」


ではなぜ、お金は悪などと言われるのか?
それは、「悪感情でお金を沢山手に入れた人が、善人に戻ることを忘れてしまい、悪感情のままで光の下に出てしまったから」なのだ。
「お金持ち=嫌な人」どういう考え方が、「お金=汚いもの」となってしまったのだ。
歴史的偉人である「ノーベル」や「ロックフェラー」は、大富豪になった後、財産の大半を慈善事業に充てている。
お金に悪気はない。


おわりに.「私たちは、実は、強い。」


小さな子供が泣き始める声がした。
転んだのか、ぶつけたのか、しかられたのか。
痛い思いをしたのだろう。
その時、ふと気がついた。

私たちは、大人になるまでに、一体どのくらいの痛みを経験してきたのだろう。
そして、どのくらい涙を流してきたのだろう。

今、私たちは、ここにこうして生きている。
てことは、今までの痛みを全部越えてきたってことだ。
そう考えたら、ふっと自信が湧いた。
私たちは、実は、強い。
痛みを超えることに、ずっと成功してきたんだから。



0296プライベートメモ2014(結)(完)