0296プライベートメモ2014(結)

0296プライベートメモ2014(結)



158.「ヒントは転がっている。ヒントは転がしている。」


ヒントは転がっているだけではない。
実は、自分で転がしている。
そう、自分の発言や行為だ。
その中にも大きなヒントがある。
ただそれに気づいていないだけだ。

だから、「外」にばかりヒントを求める。
〇〇教室やセミナー、研修、勉強会、サロンなどに参加して、ヒントを得ようとする。
だが、「自己客観力」が身につけば、自分の発言や文章、行動や反応から、沢山ヒントが得られるのだ。


159.「意味の創造により、出来事が自分の物になる。」


物事の本質を知るコツの一つ。
それは、起こったことを、「これは意味があって起こっている」と考えることだ。

意味があるという前提で事に当たれば、「何か学べる、何が学べるか?」という学習意欲も高まり、物事を深く知ろうとするのだ。
もっと深く知るコツは、「実は特に意味はなかった」というところまでたどり着き、「では自分で意味をつけようか」と意味を創造してしまうことだ。


160.「心の中に、木を育てよう。」


自分の作品が幹であり枝である。
流れる養分は、思考であり感情であり、知恵であり思いである。

根っことは何か?
それは、入力できるところである。
例えば会社、本、〇〇会などだ。
入力できる行動ができるところ、それが根っこだ。

根っこから養分が自分の中に入ってくる。
人の知恵や、自分の体験、アイデア、ひらめき、発想、手段などだ。
本を読む行為、旅に出る行為、会社で働くこと、サークルやゼミに参加すること。
そうやって根っこを広げれば、養分も沢山吸収され、作品という幹や枝もどんどん大きく伸ばすことができるのだ。


161.「勉強すればするほどに、現実からも学ばねば。」


そもそも学問や知識は、無限とも言えるこの現実世界から何かを得て、記述し、体系化したものだ。
だから、知識や学問という有限なもので、無限である現実世界を理解しようとすること自体、無理な話だ。
無理に「こういう法則があるからこうである」と当てはめても、それは、誤りの場合が多くて当然なのである。

知識や学問を否定するわけではない。
学問は現実を学ぶヒント、参考として非常に有益だからだ。
だが、知識や学問を得たからといって、解ったつもりになるものではないということだ。

世界は無限である。
まだまだ、海底や地底や遺伝子は謎に包まれている。
学問はまだまだ改良発展を続ける。


162.「恐いもの知らず。」


上司に反対意見を言ったり、ルールを破ってみたり、新しいものを作ってみたり、それがタブーに触れていたり、それでも次々と発想していく人がいる。
周りの人は、そういう人を見て、「あいつは恐いもの知らずだ」と言う。
だがそういう人にも恐いものが、ある。
それは、「自分の閃きを止めること。自分の内にあるアイデアの源泉に栓をしてしまうこと」だ。
恐いもの知らずの人は、実は、恐いもの知っている。


163.「元手ゼロで無限に広がる、魔法の贈り物。」


贈り物をすると、あげた人も貰った人も嬉しい。
だが、何の気持ちも込めず、辞令的な贈り物では、贈り手も貰い手も、あまりうれしくないだろう。
贈り手の元手ゼロ、そして送り手も貰い手も、第三者までもうれしくなる魔法のような贈り物がある。
それは、「上機嫌」だ。
貰い手も、扱いに困ることはない。
それどこか、もらった時の喜びを他の人へ伝えたくなり、輪が広がっていく。


164.「上機嫌を取り戻そう。」


どうやら人生を豊かに生きるコツは、「上機嫌で過ごすこと」だ。
いたってシンプルだったのだ。
何の準備も技術もいらない。
費用もいらない。
そして、条件もいらない。
さらには、尽きることはない。
ほとんど無限にあるものだ。

上機嫌を自分の周りにまき散らすことで、自分も周りも楽しくなる。
そして、心が豊かになる。
人生をよりよく豊かに生きようと「お金や地位を求め、自分を磨き、向上しようと努力するうちに不機嫌になっている」ことはないだろうか?
人生をよりよく豊か生きようとするあまり、一番大事なコツ「上機嫌」を失っていやしないだろうか?


165.「ヒントは自分の中にある。」


新しい作品なり文章作りなりに行き詰まりを感じたら、今まで作ってきたものや書いてきたものを見返してみることだ。
そうすると、そこにヒントが見つかる。
新しい作品づくりのヒントや、より深い文章のヒントが見つかる。

新しいものを次々と作るには、「広がる作業」と「深める作業」を両方行うことだ。
前者は、まだやっていないことをやるという意味だ。
誰も踏み入れていない新雪を歩くようなもの。
そして後者は、今までやったことをさらに深めるという意味だ。
自分の中を掘り進んで新しいものを見つけるということ。


166.「達成感が、次の行動のエネルギー。」


作品が完成したとき、大きな喜びが生まれる。
達成感や満足感、そこから来る自信などが生まれる。
しかし、そこをゴールと考えないことだ。
達成をゴールとしないことだ。
たしかに、一つの作品の完成というゴールではある。
しかし、達成感によって自分にエネルギーが充填され、自信がついてきたのだから、それを使って次へとスタートするべきなのだ。


167.「決定は易し、実行は難し。」


決めるときは、簡単だ。
「やりたいことをやろう」でいい。
やりたいから、それをやると決めることに何の抵抗もないのだ。
ところが、いざ実行しようとすると、「やっぱりやめようかな」という考えが生じてくるものだ。

実行時の自分は、もはや決定時の自分ではない。
「やるべきか、止めておくか」と考える。
それが、優柔不断というヤツだ。
優柔不断をなくすには、「決めたことは必ずやり遂げる」というルールを作ることだ。


168.「簡単にできてしまうと、成長はない。」


決断力というのは、正しい答えを選び取る力ではない。
決めたことをやり遂げる実行力だ。

小さな頃から計画を守った試しがない。
小中高の頃の、夏休みのライフスケジュール。
宿題処理スケジュール。
試験勉強のスケジュール。
資格取得スケジュール。
決めておいて、ほとんどその通りにはならなかった。

だが、それなりに楽しく過ごせたし、宿題も仕上げたし、テストも何とかクリアした。
資格も取った。
器用にやれてしまった。
そうだ、だから、いつまでたっても決断力がついていないのだ。


169.「新人さんに仕事を教えるコツ。」


新人さんに仕事を教えるコツがある。
それは、「手順をきっちり教えること」それよりも。
「やる気にさせること」だ。

「面白いですねー。なんでこんなに上手にできるんですか?スゴーイ。やってみたい。やってみていいですか?」
新人さんの口からそう言わせるように持っていくことだ。

そのためには、自分が上手にできなくてはならない。
上達してなければならない。
はじめから手順をガチガチに教えると、やる気は下がっていく。
「またあの先輩の指導か。しんどいな」
そんなストレスを与えると、新人さんは早々に辞めていく。
という経験を、あなた自身も持っているはずだ。


170.「豊かな状態。」


心が豊かな状態とは、沢山の物を持つとか、好きなものを手に入れたとか、衣食住や人間関係や仕事がうまくいっているというだけでは、なり得ない。
それらは、豊かさの半分だ。
では、もう半分とは何か?
それは、「出力していること」だ。
自分の持っているもの、力、心、体、労力、お金、時間、それらを周りのために使うこと。
これがあってこそ豊かな状態に到達する。
つまりは、入力と出力。
この両方を行うこと。
そして、この両方のバランスがとれていることが大事なのだ。
と、肺も心臓も言っている。


171.「入力と出力は常に「出力が先」。」


「あの人は豊かだから、あんなに周りの人に施しができるんだ」
と人は言う。
だが真実はそうではない。
「あの人は、あんなに周りの人に施しをしていたから、豊かになったのだ」
それが真実だ。

入力と出力は常に、出力の方が先なのだ。
赤ちゃんは、生まれた瞬間「オギャア」と泣く。
息を大きく吸って、肺に空気を溜め込んでからオギャアと泣くのではない。
肺の中に空気がない状態でオギャアと泣くのだ。
泣くことによって、横隔膜を圧迫し、反動で肺に空気を取り入れるのだ。
つまり、出力が先なのだ。
そして、最後は息を吸うつまり入力するのだ。


172.「息を引き取る。」


私は、祖母の最期の瞬間を看取ったことがある。
心拍がゼロになった瞬間だった。
祖母の口は、息を吸ったのだ。
吸ったまま止まった。
これは、体内の圧力がなくなることで大気圧によって肺に空気が入ったつまり、吸ったわけではなく、ただ単に圧力バランスによる現象という説もある。
また、「あの世に転生し暮らすための準備」という説もある。
いずれにせよ、「息を引き取る」という言葉通り、最期の瞬間は息を吸うのだ。
つまり入力するのだ。
産まれた瞬間は出力する。
最期の瞬間は入力する。
これでバランスがとれている。


173.「自ら学び続けたことは、やがて人に自然に教えてあげられるようになる。」


大事なのは、知識の内容ではない。
知識の量や専門でもない。
「自ら進んで学んだかどうか」、その姿勢だ。
その情報を、自分の力で取り込んだのか、それとも外も力によって押し込まれたのか。
自ら進んで学びに行ったことは、やがて人に、自然に教えてあげられるようになる。
「学び」という入力は、自然に「教え」という出力の態度を作るのだ。


174.「どこからでも学べる。どこまででも学べる。」


自分のやりたいことや、自分に合った仕事や、生きがいや、師匠は、「探す」ことでは見つからない。
探していると、今目の前にあるものがどんなものであれ、「これは違うかもしれない」と思ってしまうからだ。
探し始めると、きりがない。
「もっといいものを」となるからだ。
探して見つかるゴールはこうだ。
「探していたものは、どこにもない」
どこにもないということは、どこにでもあるということだ。
探すのをやめよう。


175.「「何を」よりも「どのように使うか」。」


プレゼントがたとえ、200円そこらのケーキであったとしても。
それが、「メッセージカード付きのおせんべつ」として貰ったものであれば。
自分が200円そこらで買って食べるケーキよりも、はるかに価値があると思える。
「何を」よりも「どのように使うか」。
それによって、モノの価値は大きく変わるのだ。
最も典型的な例は、「ラブレター」。
一枚10円にも満たない紙が、そこに書かれた熱い思いによって、価格が定められないほどの価値のあるものとなる。


176.「先生から電話。」


自分より弱い立場の人をいじめると、親御さんから、そして先生から、電話がかかってくる。
ここでの先生とは、学校の担任教師ではない。
神様である。
人をいじめたり、存在を否定したりすると、やはり神様のような存在がどこからか見ていて、自分を懲らしめようとするのだ。
例えば、自分より強い立場にある人を使って、自分に電話をしてくるのだ。


177.「一番の損。」


一番の損は、失うことではない。
持っているのに出さなかった、使わなかったことが、後から考えれば、一番損だ。
なぜなら、持っているものを出して使って無くなった、失ったとしても、明日「使ったという経験が、生きてくる」からだ。
次はもっとうまくやれるようになる。
失ったというのはつまり、経験を買ったようなものだ。
失っても、また違うものが手に入ってくる。


178.「ムッとクッション。」


何も言わずにぶつかられると、ムッとする。
「すいません」と言いながらぶつかられると、ややムッとする。
「すいません、ぶつかります。失礼します」と言った後でぶつかられると、ほとんどムッとしない。
言葉は、内容よりもそのタイミングが大事だ。
先に言う。
すると、それがクッションになる。


179.「一番の思い出。」


「一番の思い出」とは、一番印象に残っている思い出とは限らない。
年を重ねると、それがわかってくる。
なんでもない事柄を含め、すべての記憶の連なりが、すべて「一番の思い出」なのだ。

10数年前、家族でスキーに行って、その帰りに「ラーメンを食べるか、カレーを食べるか、丼を食べるかで、家族全員で迷った」。
そんな、子供の頃のどうでもいいようなワンシーンを、ふと思い出す。
それが、幸せな気持ちを作り出したりする。
何でもない事も、大切な思い出だったのだ。


180.「学ぶ。」


①転んだ時の方が期待できる。転ぼう。
②どでかいラッキーは、突然現れる。焦らず諦めずコツコツと続けて行こう。
③チャンスの兆しは、何度も現れる。一度に入れたからといって、落ち込むのはまだ早い。
④大負けしよう。ギャンブルは娯楽であって、これでお金稼ぎをするもんじゃない。
という学びを、パチスロで得た。
もうこりごりだ。


181.「悪のエネルギーを求めて行こう。」


成功するまでには、多大なエネルギーを要する。
自分のエネルギーのうち、最大の物は何だろうか?
愛?
恋?
慈悲?
否、怒りだ。
憎しみだ。
怒りや憎しみが、エネルギーとしては最大のものだ。
怒りのエネルギーを活用すると、成功するのだ。
しかし、良心がなければ成功は続かない。
だから、成功したら、善人に戻らなければならないのだ。


182.「成功ノウハウが役に立たない理由。」


多くの「成功の法則」や「成功ノウハウ」が、まったく役に立たないばかりか、凡人をさらに貧困にしてしまうには理由がある。
成功法則や成功ノウハウは、「成功者が自分を善人に戻すために自分に向けて書いているもの」だったのだ。
だから、成功していない人がそれを受け入れると、逆効果になる。
お金無しの善人になってしまうのだ。
成功するまでは、善は捨てて悪になることが必要だったのにだ。
(悪と言っても犯罪者になるということではない。欲望のままに突っ走るということ)
お金無しの善人になってしまうと、成功するエネルギーがなくなる。


183.「求心しよう。」


とは言え、悪人だと周りの人に嫌われる。
それでは成功できなくなる。
だが、悪のエネルギーが欲しい。
ではどうすればよいか?

人が嫌がってやらないことをやるのだ。
人が「そんなことするのはかわいそうだ、大変だ、死ぬかもよ」というようなことをやることだ。
誰もが行かないその先に、行くことだ。


184.「面倒くさいことをしよう。」


例えば、社内で一番しんどい仕事を引き受ける。
主任職でありながら、係長レベルに働く。
誰かの失敗をカバーする。
手柄を人に渡す。

賞与のないパートタイマーでありながら、正社員と同じ働きをする。
国立大学を卒業していながら、自営業をする。
幹部候補エリートの道に乗っていながら、そこを降りて、汗にまみれる。

「面倒くさいから私はやりたくない」という仕事を肩代わりする。
自分を追い込むことだ。
それが後々、自分の未来を創る。


185.「たまっても、出さない。」


悪感情が沢山溜まった時。
大事なことは、「それを表に噴出しないこと」だ。
求心力が薄れるばかりか、せっかくハイリスクで手に入れた強いエネルギーを無駄に消費してしまうことになるからだ。

愚痴など言うべきではない。
会社や人の悪口を言うべきではない。
なぜなら、悪感情は、「自分の創作エネルギーにすべて変換しなければならないから」だ。
外に吐き出すなんて、「もったいない限り」だ。


186.「悪感情は、自分の成長のためにある。」


怒りを外に出さず。
ではどうするか?
我慢するのか?
いやそうではない。
「使う」のだ。

仕事に使うのだ。
自分の成長のためにすべて使うのだ。
気がおさまるまで使うのだ。
「逆境に遭った人が成功する」と言われているが、実はそうではなかったのだ。
「怒りのエネルギーを創造的に使った人が」成功するのだ。


187.「悪感情を使いこなす。」


逆境に対する悪感情(怒りや憎しみ)を、表に出さずに内なるものを創ることに使った人が成功するのだ。
「逆境に遭った人が成功する」というなら、この世は成功者だらけのはずだ。
悪感情を自分の仕事に使って「お金の流れ」を作った人が、成功するということだ。


188.「お金に自意識はない。」


お金には、人を選ぶ力はない。
お金は、生物ではなく物質である。
お金は、お金が集まっているところへますます集まるという習性があるだけだ。
と言っても、お金に意識があるわけではなく、世の中のしくみがそうなっているだけだ。

昔から、「金もうけは悪」などと言われ、お金を汚いもののように思われたりもしてきた。
だが、お金は生物ではなく物質である。
お金に自意識はない。


189.「お金に悪気はない。」


ではなぜ、お金は悪などと言われるのか?
それは、「悪感情でお金を沢山手に入れた人が、善人に戻ることを忘れてしまい、悪感情のままで光の下に出てしまったから」なのだ。
「お金持ち=嫌な人」どういう考え方が、「お金=汚いもの」となってしまったのだ。
歴史的偉人である「ノーベル」や「ロックフェラー」は、大富豪になった後、財産の大半を慈善事業に充てている。
お金に悪気はない。


おわりに.「私たちは、実は、強い。」


小さな子供が泣き始める声がした。
転んだのか、ぶつけたのか、しかられたのか。
痛い思いをしたのだろう。
その時、ふと気がついた。

私たちは、大人になるまでに、一体どのくらいの痛みを経験してきたのだろう。
そして、どのくらい涙を流してきたのだろう。

今、私たちは、ここにこうして生きている。
てことは、今までの痛みを全部越えてきたってことだ。
そう考えたら、ふっと自信が湧いた。
私たちは、実は、強い。
痛みを超えることに、ずっと成功してきたんだから。



0296プライベートメモ2014(結)(完)