0193自分で求めるべきもの、求めるべきでないもの。

0193自分で求めるべきもの、求めるべきでないもの。


求めるべきものと、求めるべきでないものがある。
求めるべきもの
①能力、ノウハウ。
②やりがい。
③人間としての成長。

求めるべきでないもの。
①収入。
②評価
③位。
これを逆転させるから人生および仕事は、しんどくなるのだ。


「会社が教えてくれない」と文句を言う人がいる。
「会社は、教えないことで、ここに私を縛りつけ収入を据え置きにしたいのだ」と言う。
能力は、自分で磨くものだ。
昔はもっとそうだった。
職人は何も教えてくれなかった。
入門を許可した弟子にさえ教えなかったのだ。
職人芸を体得した人は皆、みずから進んで学び取った人なのだ。


能力を、「与えられるもの」と考えているとどうなるか?
与えられ、うまくやって、能力がついたと思う。
ところが、状況が少し変わるとたちまち低能になってしまう。
また、型にはまっていて、応用が利かない。
能力は自分で身につけてきたものでないと、自分のものとして自在に使えないのだ。


今の仕事にやりがいがないと言う。
それで、転職してそこでやりがいを見つけると言う。
職場にやりがいはないのだ。
自分が本気で取り組んで、会社を通じて、人々に喜ばれた時に、やりがいは生まれているものだ。
そして会社は社員にやりがいを与えてはくれないもの。


先輩にやり方を教わり「どうだ、やりがいあるだろう?」と言われる。
そこで本心からやりがいがあると感じなかったとしても、「そうですね」、と言うことがある。
早くに本心からやりがいを持てるようにすることだ。
でないと、自主性がなくなってきて、やらされ感が出てくる。


人間としての成長は、手に入れると、もはや失われることはない。
だが手に入れるのは難しい。
自発的に動き、周りの人を説得し、動かして、成果を出したという時、成長した実感を得られる。
手に入ると、加速的に成長していく。
成長の喜びとは、成長した自分を喜べることなのである。


もし、人としての成長が、学校教育や社員研修で可能なのであれば、今のような世の中にはなっていないだろう。
人としての成長は、本人の意思により生まれるものであり、教育や研修では生まれないのだ。
教育、研修で生めるのは、きっかけや、動機や、好奇心だけである。
本人の意思でそこから手を出すか否かが決まるものである。


収入額にとらわれずに仕事をした方が、仕事ができるようになる。
収入のためにやっていると、収入が伸びれば頑張るが収入が下がるとやる気をなくすという事態になるのだ。
お金の奴隷になってしまうということである。
仕事は収入を得ることを前提にやるものではない。
仕事の結果として収入がついてくる、それだけである。


収入を求めて仕事をすると、収入以上の仕事をしなくなり、収入以内の仕事しかしなくなるものだ。
つまり、収入の奴隷になるということである。
与えられたことさえきっちりやっておけばいいということになる。
それができるようになったら、自分で考えなくなるのだ。
自発的に動かなくなるのだ。
それで生産者が「あんたは生産性が上がっていない」ということで、みんなが昇給しても取り残されるのだ。


収入額にとらわれずに仕事をした方がいいと言うのは、4つのケースいずれにも言えることである。
4つのケースとは。
①「凄く仕事して」「収入が多い」。
②「凄く仕事して」「収入少ない」。
③「楽に仕事して」「収入が多い」。
④「楽に仕事して」「収入少ない」。

①「凄く仕事して」「収入が多い」。
このケースで収入額にとらわれていると、過労死する。
②「凄く仕事して」「収入少ない」。
このケースで収入額にとらわれていると、社会を憎み、被害者意識にさいなまれる。
③「楽に仕事して」「収入が多い」。
このケースで収入額にとらわれていると、ハングリー精神を欠き、内面の研鑽をおろそかにする。
④「楽に仕事して」「収入少ない」。
このケースで収入額にとらわれていると、向上心、克己心、チャレンジ精神を欠く。


評価と収入を求めて働くと、マシーンとなる。
すなわち、与えられた仕事を求められた水準まできっちりやることを目的として働くようになるだけだ。
餌付けされた動物と同じようなものである。
マシーンは、会社がその仕事を「バージョン更新」、「モデルチェンジ」する時、お払い箱となる。
「今までよく頑張ってくれたね、お疲れさん。この先、君はいらないよ」と。


会社に評価してもらおうと考えると目的がズレてくる。
一見、提案は本来、「会社を通じてお客様により喜んでもらうためのアイデア」である。
或いは、「会社の発展のため、社内の問題を提起し改善していくためのもの」である。
評価を求めると、会社に文句は言えず、社長や役員のオベンチャラが入ってくるのだ。
本来の目的からズレてくる。


社内における収入と評価は、ゼロサムである。
ゼロサムとは、「総和がゼロ」ということである。
つまり、誰かが昇給すれば誰かが降給し、誰かが昇格すれば誰かが降格するということだ。
会社が、全員の基本給をアップ(ベア)させるほど儲かっていれば別だが。


これに対して、プラスサムの仕事がある。
プラスサムは、「自分にとっても、周りの皆にとっても、お客さんとっても、プラスになる」という仕事だ。
例えば、人が感動し、学べるような作品や仕事を作って配る。
みんながやりがいや成長をみずから求める気持ちになるように働きかけるということなどだ。


地位は、求めて得るべきものではない。
地位争いは、「上がる前は今を心配し、上がったら落ちることを心配する」しんどいものだ。
しかし、地位があると、やりたいことをやりやすい。
自分の意見を通しやすいものだ。
地位は、手段として使って初めて生きてくる。
手に入れて喜ぶものではないのだ。


地位は、自分を縛りつける足かせにもなる。
地位者=責任ある行動をとること。
が、義務付けられるものだ。
うかつには動けないのだ。
放射能が恐いから、行かない」なんてのも、許されなくなるのだ。
思いつきで動くことができなくなるのだ。
地位者は制約だらけなのだ。
好きに動きたいなら、無名の方がいいのだ。


評価を求めなくていい。
成長を求めて、どこまでも伸びていく先輩はやがて、多くの人に評価される、人気が出てくる。
人気が出ると、評価を下げることはできなくなるのだ。
そして、そういう人に「教わりたい」と言って人が集まっていくのだ。


収入を求めない。
そのためには、欲をコントロールすることが必要だ。
本当に必要なものに絞るのだ。
そうすることで、金を無駄に使わなくなる。
お金がたくさんあっても、「無駄に使う習慣」があったら、穴の開いたバケツだ。


お金を使わないで、やれる趣味を持つ。
収入を気にしないためには、「出費を気にしなくする」ことだ。
それは、「好き放題使おう」ということではない。
お金が余る暮らしをしようということだ。


ギャンブル的なのは、収入と評価だ。
能力、やりがい、成長は、ギャンブル的ではない。
ギャンブルすべきものではない。
それらはコツコツ努力して、確実に握り締めていくものだ。
収入や評価は、自分ではコントロールできないものであり、いわばギャンブルのようなものだ。


収入と地位を求めて得る。
確かに社会は、「求める者に与え、求めない者には何も与えない」というところがある。
求めれば得られるだろう。
ところが、能力、やりがい、成長が、追いついていないとどうなるか?
転落してしまうのだ。
器が、紙でできていたのだ。


家、持ち物、お金が、全部なくなってしまった。
その時、心豊かにいられるだろうか?
もしそうでないなら、外に執着があるということだ。
心の中に財産を蓄えていないということだ。


物は手段だ。
物を手に入れることは目的ではない。
せっせと働いて、貯金を貯めた。
だが、趣味も遊びも友達もいなければ、豊かに使うこともない。
高級品を買うぐらいのものだ。
しかしそれが本当にすべきこと、目的だったのだろうか?


能力は、発揮してこそ向上する。
オリジナルでやると、必ず批判される。
批判されてこそ向上していくのだ。
大事なのは、批判にめげないことである。
批判された時、引っ込まず実践あるのみである。


能力はやり続けるとついてくるものだ。
適性もついてくる。
初めから能力や適性などなくてもいい、自信もなくていい。
もしその道に入るために、ある能力や適性が求められるなら、1年〜3年計画で、それを見に付ければいいだけのことだ。
時間をかければ能力や適性はついてくる。


マンツーマンで接する時は、理屈よりも、感情やフィーリングに動かされるものだ。
幾ら能力があっても、理屈が力をなさない場においては、人間力がものを言う。
だからこそ、能力と人間的成長、それらを両方高めていくことが大事だ。
そして、それらを高める動機となる、「やりがい」これを持つことが大事なのだ。


組織は人なり。
職人級の能力は、マニュアル化できない。
その人が教えて回り、全体のレベルアップを図るしかない。
そういうものだ。
そういう人は貴重な存在だ。
能力、やりがい、成長を求め、自分自己向上することは、自分のためだけではなく、人のためにもなる。
みんなが模倣するようになり、レベルが上がるのだ。
つまり、「自分が向上して能力を身につける」ことは、「人に能力を与え向上させる」ことに繋がっているということなのである。


能力があり、人間力があり、やりがいを教えてくれる人。
こういう人がリーダーシップをとると、皆がうまくやれそうと思って、実際うまくなる。
全体が高まっていくのだ。
会社では今、こういう人材を求めているのだ。


その能力は仕事でしか通用しないかもしれない。
しかし、人間力は、どこへ行っても通用する。
そして仕事にやりがいを見いだす姿勢も、別の仕事を始めても生きてくるのだ。
そして、人の役に立てれば、本人にとって大きな喜びだ。


なぜ能力とやりがいと人間力を求め、高みに登るのか?
次の時代のために、だ。
自分が学んできた多くのノウハウを、渡していくのだ。
そのためには、自分が学んでこなければ無理だ。
自分が作り上げた作品を、次の時代に見せていく。
そのためには、能力や人間力を高めておかねばならないのだ。


0193自分で求めるべきもの、求めるべきでないもの。(完)