0261プライベートメモ2013(下)

0261プライベートメモ2013(下)


36.赤外線送信。


ドコモiモード携帯には赤外線送受信機能がついている。
これは圏外でも画像を送受信できるすぐれものだ。
イタリアで実際驚いた。
自由行動時間にピサの斜塔オプションで出かけた人に、赤外線で斜塔の写真をもらったのだ。
「気持ちも赤外線で送れたらいいのにね」
2年も使っている自分の携帯にそんな機能があったことに驚く自分に、写真をくれた彼女がそう言って微笑んだ。
恋の悩みは本当もどかしいよね。


37.想像できる未来はやらない。


ワクワク感や充実感を得て、なおかつ安定感や安心感を得るなんて無理だ。
それらは相対するもの。
シーソーのようにどっちかしか得られないものだ。
想像できる未来を選ぶか捨てるかは、ワクワクを取るか安定を取るかと言うことだ。
生まれた街で中学校時代の友人とスポーツやサークルでもやりながらのんびりと暮らす。
それは楽しそうで安定感があって、そういうビジョンは容易に想像できる。
しかし、だからやらない。


38.お金の動きが早いのだ。


世の中の動きが早いという。
それはお金の動きが早いのだ。
全体の消費は減っている。
個人では、「お金を使わない人」と「金遣いの荒い人」に分れている。
ギャンブル人口は減っている。
飲食店に来るお客さんも減っている。

だが、お金の使う人が減ったわけでもない。
実は前と変わらない額のお金を使っている。
ただ使い道が移っただけだ。
衣食住から通信費へと。


39.おわび。


JRが遅れて到着した。
車内アナウンスでお詫びの言葉が流れた。
遅れまして大変申しわけありません。
と流れた。
JRが遅れてしまったことにすべての人が迷惑と思っているわけでは、しかしない。
全く気にしない人もいる。
JRの時刻を気にしない人だ。
JRの時間などを見ていない人だ。
しかし、そういう人にとっても、おわびのアナウンスは安心できる。


40.枠


仕事中に遊び、遊びの中で仕事をしよう。
外回りの仕事中に、新しい食品メニューのアイデアを考えたり飲食店めぐりなどをしたり。
逆に、飲食店で食事をしている時に営業のアイデアを考えるのだ。
そうやって混同させていると、仕事とプライベートの枠がなくなってくる。


41.学ぶほどに。


面白いから学ぶのではなく、学ぶから面白くなるのだ。
学びから面白さを見つけ出せるような力がついてくると、もはや学ぶジャンルを選ばなくなる。
海外旅行やイベントからだけではなく、私生活やレンタルビデオの中やなにげない通行人のしぐさや会話などからも、学べ、面白がれるのだ。
人生におけるあらゆる出来事の中で、面白くないものなど一つもない。
そう思えたら人生の幸せを感じられる。


42.何を言うかより誰が言うか。


何を言うか。
言うことの内容よりも説得力を持つのは、誰が言うかである。
嫌いな人より好きな人。
同年代より上司。
上司より権威(社長など)。
知らない人より友人。
友人よりも遠くにいる権威の友人。
親よりも友人。
そして友人よりも自分自身。


43.今。


今この瞬間を意識的にとらえたほうが幸せだ。
と言われるが、実際街を自転車で走っているときは、アイデアを考えている時の方が、充実感があったりする。
人にこうであると教えられたことよりも、自分で見つけた良い生き方に従おう。
人の教えはあくまで参考なのだ。


44.局部的にはマイナスでも、全体がプラスになる。


498円の弁当。
それが298円に値引きされていたら、安い。
弁当1個あたりの購入意欲はアップする。
だが、安売りすると粗利がダウンをする。
しかしお客は買う率が上がる。
そこで弁当とセットで買えるもの(ドリンクなど)も置いておき。
ついでに買ってもらって粗利をカバーするのだ。

45.「失恋のおかげ」


あの時もっと、成熟した人間であったならば、恋人と別れることもなかったろうに。
ふられることもなかったろうに。
誰だって、特に失恋という失敗では深く後悔するものだ。
でも、未熟でよかったのだ。
「早過ぎた出会い」ではなかったのだ。
なぜなら、あの失恋から成長がはじまったのだから。
今までの成長とは別の、「心の成長」が。
今の自分がこれほど優しくなったのも、あの失恋のおかげだったのだ。


46.「生産性向上」


好きな人にメールをしたのに、無視られた。
ああ、ムカつく。
バスの中で人にぶつかられて、何も言わずに去られた。
もうムカつく。
こちらが丁寧に接したのに、ぞんざいに扱われた。
マジムカつく。
これらの、ムカつきパワー。
このパワーを、有効に使おう。
仕事に使うのだ。
または、自分の行動速度を高めるために使うのだ。
「ムカつきパワーで自分の生産性を向上」しよう。
結局、みんなにありがとう。


47.「神さまはとなりにいる」


神さまというのは、得体の知れない存在ではない。
神さまは、君のとなりにいる。
水面下でひたむきに頑張っている君のとなりにいる。
出世していく同僚に奥歯を噛み締めながら拍手をし、孤独とやるせなさを堪えて、それでも決して人に見せない君の、となりにいる。
ある日、ある人が夕食に誘ってくださる。
もう、誰にも相手にされないような人間だと諦めていたこの自分を、笑顔で誘って下さる。
ぐっと涙を堪えた時、その相手に神さまを見る。
その人の笑顔が自分の心に、一条の光となって差し込む。
となりで笑ってくれる人が、神さまなのだ。


48.「地上天国」


つらい思いをし続けてきたからこそ、大きく癒されるのだ。
人のちょっとした優しい言葉に。
ちょっとした労りの行為に。
それらに、大きな癒しを見るのだ。
そして、とてもつらい思いをし続けてきた人はついに、「地上天国」を見る。
人のありがたみ、人の存在そのものの素晴らしさを見るのだ。
その時、分かるのだ。
「つらい経験が、間違いではなかった」と。
そして心は安らぐ。
心の安らぎから、勇気と微笑が湧き出してくる。
そして、人生を深刻にならないで、穏やかな心で過ごしていけるようになる。


49.「死に切る=生き切る」


人生を楽しくそして精一杯生きたい。
そう考えても、何を最優先していいのか見えてこない。
だから、そうではなく。
「死に切ろう」と考えるのだ。
「いつ死んでもいい。死に切ろう」そう考える。
すると、やるべきこと、最優先すべきことは見えてくる。
「これをしなかったら、死に切れるだろうか?」そう自問すると、見えてくる。
見えてくると、決められる。
決めて、それを精一杯やる。
すると、生き切れる。


50.「人生で得るもの、残すもの」


人生で得るものは、脳の中に格納された記憶だけだ。
写真や動画、記録などの「外部記憶」も含まれる。
そして、人生で残すものは、足跡だけだ。
何を残そうとも、50年後、足跡しか残らないのだ。
足跡とは、「こういう人がいて、こういうことをしたんだ」という記録である。
よい足跡を残したいものだ、地球に。


51.「感情が汚れたとき」


憎しみ。
苛立ち。
そんな感情が湧き出したとき。
心が、まるで真水を溜めたコップに泥水を一滴たらしたかのように、感情がどす黒く汚れていくような感覚が、体に広がる。
「大人に、なりたい」
大人になるというのは、感情を乱さないようにすることではない。
大人だって感情を乱すし、汚す。
いやむしろ大人の方が、感情を乱すことが多い。
感情が乱れ汚れたら、どうするか?
溜めないで、吐き出すことだ。
もちろんそれは、「愚痴」や「破壊行為」のことではない。
「創造的行為」や「運動」「自分の仕事の生産性向上」「行動速度の向上」で発散するのだ。


52.「人生は、冗談半分から始まる」


職場の人が、辞めていく。
その時の職場のノート。
退職者のお別れのメッセージに、みんながコメントを書く。
そのコメントに、退職者がコメントを書く。
それが、例えば。
「Mさん、お世話になりました。本出たら買いますね」と書いてある。
これは、もう1年も前に、冗談半分で「出版して印税生活します」と言ったことへの返答だったのだ。
それを、覚えてくれていたのだ。
それで、うれしくて、せつなくて、いたたまれなくて、でも何かやる気になる。
「マジで、やってみようか」という気になるのだ。
そんな感じで、人生は始まるのだ。


53.「高ぶったときこそ、ワンクッション」


例えキレずにはおけないような出来事であったとしても。
必ずしもキレるという選択をしなくてもいい。
キレなくても済むはずだ。
「キレるべきことがあったから、キレたのだ。私はどこも間違っていない」と言うだろうが。
だが、キレたというところが、間違いである。
いや、間違いというか、BADな選択だ。
何故なら、キレたところで事態は収拾せず、逆に悪化するからだ。
キレて行動した後、その言動は後になってドーパミン分泌が収まったころ、自分に跳ね返ってくる。
キレるような事が起こったら、「キレるという選択は最適か?」と自問しよう。
高ぶったときこそ、ワンクッション置くことだ。


54.「お釈迦様」


お釈迦様は生まれて間もなく七歩歩き、天を指差してこう言われたという。
天上天下唯我独尊」
これは、直訳は「天と地のあいだに、我以上に尊きものはなし」だ。
しかしそれは、「オレはこの世で一番偉い」という意味では全くない。
むしろ逆なのだ。
「オレは史上最高に恵まれていて、これ以上幸せはない、だから人に誉めてもらう必要はない。逆にあまたの人を誉めまくってやる」という意味なのだ。


55.「ついてくる」


親切にした分だけ、自分にツキがやって来る。
「人を幸せにする人が、幸せになる」ということだ。
だが、そのツキを受け取るためには、たった一つ条件がある。
それは。
「ツキがやって来ることを、当然のこととして考えない」ことだ。
というのも、当然のこととして考えていると、「ツキが来た、ありがたい」と思えないからだ。


56.「シンプルは進化してシンプルへ」


シンプルなところから始まって、進化すると複雑になっていく。
そしてさらに、多機能化、拡大、自己複製と再構築が起こる。
これは生物の進化然り、生物の細胞のプロセス然り、企業や国家の成長プロセスにも当てはまる。
成熟しきった後の進化は、どうなるか?
「新・シンプル化」である。
これが最初(原始状態)のシンプルと違うのは、「選択によってシンプル化した」点である。
原始状態のシンプルは、選択によるものではなかったのだから。


57.「好きなことを続けるために」


好きなことでも、環境が伴わないと、長続きしない。
「やらされる」とか、「やる環境が嫌い」な場合、モチベーションは落ちていく。
しまいには、「これは好きなことではないのだ」と思うまでに至る。
例えば、学生時代、PCをいじるのが大好きな人がいた。
自分でPCを組んでカスタマイズし、ソフトも簡単なものは自分で作れる人だ。
その人は、当然のようにメーカーのシステムエンジニアに就職した。
だが、一年も経たずに退職してしまった。
何故か?
会社環境が合わなかったのだ。
PCを使ってシステム構築するという仕事は大好きなはずなのに、環境が合わないと長続きしないのだ。


58.「好きなことの復活」


好きなことは、一旦止めてみて、もう一度復活させると、進化する。
「自分スタイルを持てる」のだ。
また、「続けられる環境の整備」のところにも頭が行くのだ。
続けられる環境を整備して、自分スタイルで好きなことを再稼動する。
すると、以前よりも格段に面白くなる。
「やっぱり自分はこれが好きなんだ」と確認することが多くなり、やがては一生ものになる。
好きなことというのは、「何かのきっかけでスタートし好きになった」、という半受動的なものだ。
それを今度は自分の意思でスタートするという、全能動的なものにするのだ。


59.「遊歩道」


遊歩道(プロムナード)。
ここを自転車でのんびり走れる人生こそ、成功人生だ。
この豊かな気持ちと、解放感。
これは何かを達した時の喜びほど強烈なものではない。
だが、何かを達した時の喜びそれ以上に「長く続く」ものだ。
「自然の中に身を置いて、今ここに在ることの喜びを静かに感じる」。
それは決してなくならないのだ。
いつでもできるのだ。


60.「自慰」


自分が惨めになってくると、次の選択をする。
①「頑張って、乗り越える」
②「孤立分離して、自分の世界に閉じこもる」
例えば、めちゃくちゃお金持ちで最高級の身だしなみをしている人と会食する。
その時どう思うか?
「自分も頑張って、あのぐらいのレベルに到達してやる」
もしくは「別に、彼とは住む世界が違うのだ、私は私でいい」と思うかだ。
孤立分離して、自分の世界に居れば、劣等感に苦しむことはない。
だから楽だ。
だが、劣等感を持ちたくないから自分の世界にこもるというのは、ある意味「自慰行為」だ。
自慰行為:マスターベーション。オナニー。せんずり。マスかき。


61.「自分のミッションは、手紙の中にある」


お別れの際、メッセージカードをもらう。
「Mさんと仕事したときは、いつもすごく楽しかったです」
その一言。
そのたった一行。
だが、それが「自分はこれから何をどうやるべきか」を一瞬で教えてくれる。
「どう生きるか、自分の人生」という問いかけの答えとなるマイミッションを教えてくれるのだ。
長い間、知りたくて、でもつかめそうになかった最重要事項。
それは、ある時、全く予期しないところからやって来るのだ。
誰かに、「君と居ると、楽しいよ」と言われるような生き方をしよう。
それがきっと、私の幸せ人生だ。


62.「What I do?」


「What」は「何?」という意味だが、「〜のところのもの」という訳し方もある。
「What I do?」
私は、何をする?
そう問いかける。
「What I do?」
私は、この人生で何をする?
その問いかけの答え。
答えは、実は問いかけ自体が持っていたのだ。
「What I do」
私は、私のところのものをする、と訳せるのだ。
私は、私のところのものつまり、私の思うところのものをdoするということだ。


63.「抑圧している対象に対して怒る」


怒りという感情。
実は、怒りの感情はある特定の状況で発生する。
ある特定の状況とは?
それは、「自分が抑圧している対象を外に見たとき」だ。

自分が心の中で押しとどめているものがある。
そのものを、外に見たとき、怒りの感情が発生するのだ。
例えば、「暴力は絶対いけない。暴力を振るったものは厳重処罰が当然」と思っている人。
そういう人は、他人が暴力を振るうシーンに出くわすと、ほとんど自動的に怒りが発生するのだ。

例えば、「自分は価値のない人間なんかじゃない、適当に扱われる人間じゃない」といつも考えている。
ある日あるお店で買い物をした時。
レジのおばさんがお釣りを投げて寄こした。
それで、激怒した。
「自分は適当に扱われた!」と感じたのだ。
実は、レジのおばさんは、いつもそうしているのだったのだが。

また、例えば。
自分の好きな研究に打ち込めなくなった部長。
事業部のきりもりをする仕事が優先で、好きな研究ができない。
それで、「研究したい。好きにやりたい」という気持ちを抑圧している。
そのような部長の目の前に、好き放題仕事して、報告書を思いのままに書いた若い社員が映る。
すると、部長はひどく反応して、激怒するのだ。
「何好き勝手やってんだお前!」と。
自分の心の中で、「好き勝手は許されない」という構図があるから、外の世界でも好き勝手を許せないのだ。


64.「気をとられる」


ある日。
歩道で、大きな扉のような板を運んでいる作業服の青年が居た。
その人が歩道を横切ってビルに入ろうとした時だ。
走ってきた自転車の中年女性とぶつかった。
板を運んでいた作業服の青年は、その奥さんにとても丁寧にお詫びをしていた。
そしてその青年は、奥さんが自転車で走り去っていくのをずっと見守っていた。
微笑ましいシーンだった。

ところがその青年は、後ろから自転車で走ってきたオッサンにいきなり怒鳴られた。
「なんしょんじゃ!どけぇや!」と。
その青年は、奥さんの自転車に気をとられていて、他の人の通行の妨げになっていたことに気がつかなかったのだ。


65.「学習」


学習において大事なこと。
それは、内容のレベルや分かりやすさ、学びやすさといったものではない。
それは、こちらの「学ぶ姿勢」である。
すなわち、「やらされ」で学ぶか、「自発的に」学ぶか、これが学習後の吸収量を大きく分けるのだ。
小中高で学習した内容を思い出してみよう。
ほとんど思い出せない。
だが、しっかり思い出せるものがいくつかある。
それはいずれも、「興味を持って自発的に学習した」内容のものがほとんどだ。


66.「してあげよう」


してもらったことで、成長するのではない。
してあげたことで、成長するのだ。
してあげる過程で、力がつくのだ。
忍耐力。
自己コントロール力。
目標達成力。
問題解決力。
技術力。
知識。
人脈。
それらがついてくるのだ。
そしてしてあげた結果の報酬は、勇気と自信と、さらなるミッションだ。


67.「昔は貧しかったんだよ」


年配の人が言う。
「昔は、貧しかったんだよ。今のように食べ物がなかった」
昔は貧しかった。
だがそれは、食物が豊かになった今を見ているからこそ言える事。
つまり比較ができるから言える事だ。

比較の対象となる「昔」を知らない私たち若者には、その貧しさが分からないのだ。
だから、私たち若者は、「今がいかに豊かなことか」も実感できないのだ。
そう考えると。
今の豊かさを実感するための比較対象「貧しかった昔」を知っている年配の方の方が、今、幸せを感じて生きているのかもしれない。



68.「疲れは、帰り道で癒そう」


仕事の疲れは、帰り道で癒そう。
川のほとりを歩こう。
ツバメがピューッと飛んで、一生懸命えさをとっている。
緑が多い遊歩道を歩こう。
つい先月丸裸にされた川土手、そこに、草が芽を出している。
月がかかったお城の近くを通ろう。
「昔の人の方が美術センスが高かったのかもしれない」、なんて思える。
犬の散歩道を通ろう。
犬が、鼻息をフンフン言わして、ものすごい勢いで走っている。
散歩というより、疾走。

帰り道には、いろいろな癒しがある。
帰り道で癒されるようになると、不思議な感覚になる。
「仕事の疲れを癒すためにここを通っている」のではなくなり。
「ここを通ることの喜びをもっと大きくするために、仕事で疲れなければならない」なんて感じになる。


69.「目的がはっきりしていると、動きが素早い」


仕事のスピードは、むしろ遅い。
なのに、出勤前。
「あ、ケータイ!店に忘れた」といって、ダッシュで店に戻る。
その足の速さ、身のこなしの素早さ。
それを仕事に生かせないものか?とあきれる。
この、極端な速度の差は何なのだろう?
それは「目的がはっきり定まっているかどうか」でもあると言える。
「ケータイを取りに戻る」という行為は、目的がはっきり定まっている。
だから、素早く行動できる。
では、仕事の手が遅いのは?
仕事の目的がその人の中で、はっきり定まっていないからだ。


70.「キレる若者VSキレる中年」


「オヤジ狩り」
最近は全く聞かなくなった。
だが、若年層、未成年者の凶悪犯罪は増加傾向にあるようだ。
社会人の中年が言う。
「若者は、怖い」と。
「すぐキレるし、キレて何をするかわからないから」と。
確かに、若者は感情が高ぶりやすく、感情が全身を支配すると支離滅裂な行為に走る可能性が高い。
感情をコントロールできないところは、怖い。

しかし。
実は、怖さで言うならば、中年の方が怖い。
中年がキレることの方が怖い。
なぜなら、中年は、キレても冷静に行動をすることができるからだ。
つまり、キレて暴力を振るったり怒鳴ったりするのではない。
相手の素性を調べて、「自宅に電話」「相手が勤めている会社に電話」して、包括的に痛めつけることをやれるのだ。
「若者がキレると、拳や棒切れなどで殴ってくる」と言うならば。
「中年がキレると、世間や会社で殴ってくる」のだ。


0261プライベートメモ2013(下)(完)