0290プライベートメモ2014(1)

0290プライベートメモ2014(1)


1.「ぶつかり合い。」


ぶつかり合いから、付き合いは深くなる。
より深くなる。
ぶつかるのは、確かに恐い。
相手を傷つけてしまいそうで、また自分が傷つけられそうで恐い。
ぶつかるためにはゆえに、「言いたいことをズバンと言っても嫌われない」という信頼感が必要だ。
もしくは、「嫌われたっていい」という覚悟というか開き直りが必要である。
つまり、信頼と覚悟があればぶつかることができるということだ。


2.「ぶつかり合いはギャンブルだ。」


ぶつかって、付き合いは深くなる。
しかし、時には THE ENDつまり破局することもあるだろう。
ぶつかったとき。
より深く付き合うようになるか、そこで事切れるかは、やってみなければわからない。
つまりギャンブルというわけだ。
しかし、ぶつかり合いを避けていれば、人と一向に深い付き合いができないのだ。
ぶつかれない人は、ずっと弱いままだ。
弱いから、ぶつかれないのではなく、ぶつからないから、強くなれないのだ。


3.「出世。」


今までの出世とは、社内出世だった。
同窓会で旧友と顔を合わせた時。
課長か、部長かといったことが話題にされた。
「何をやっているか、どれだけ満足しているか」に触れられていなかった。
これからの出世とは、自己実現だ。
社外出世だ。
どれだけやりたいことをやったか。
どれだけ豊かな人生を歩めたか。
どれだけ、自分自身の道を追及したか。
それが問われるのだ。
自分の思いを実現させた人が、カッコイイ人なのだ。


4.「人生はループ。」


生きているうちは、人生はループだ。
くり返していくのだ。
ただし、前回とまったく同じくり返しではない。
何かが変化した上でのくり返しだ。

例えば人付き合い。
①仲良くなる。
②嫌な所が見えてくる。
③ぶつかる。
④深まる。

というループをグルグル回る。
喧嘩すればするほど仲よしになるということだ。
しかし、破局するという出口もある。
そこはゴールではない。
ループの出口は、死だ。
ゴールに辿り着きたいなら、人生をやめるしかない。


5.「決断力。」


電話の1分間で決断するためには?
常日頃から、自分をしっかり持っておくことだ。
「こうしたい。自分はこれが好きだ。」
と、自分をしっかり持っておくこと。
自分自身を明らかにするように考えておくことだ。
そうでないと、電話口でメリットをたくさん述べられると。
不本意なのに、そちらになびいてしまいかねないからだ。
メリットよりも、自分が好むかどうか。
それを決めるには、自分をしっかり持っておくことが必要だ。


6.「あと30年。」


人生後30年だ。
その間に、世界に何をしてあげられるだろうか?
新しい技術を発明する?
新しい生き方を提案する?
人々の心を豊かにする?
それとも、自分が豊かさを味わう?
何を残す?
何を伝えていける?
それを30代の今から考えて生きれば。
幸せの実態を手に入れることがなかろうとも、幸せに生きていけるだろう。


7.「社会に出てからの試験は、すべて腕試し。」


試験は、腕試しだ。
自分にどのくらい力があるかを試す行為だ。
試験を目標に勉強することは、本質的には、すべてとは言わないが「間違い」だ。
本来は、自分で好きなことをコツコツとやっていて、「力がついているかな?どうかな?」
ということで、「よし腕試ししてみるか」と試験を受けるのだ。
試験は、自分を試す良い手段であって、目的ではない。
それがわかっている人は、「試験なんてくだらないよ」なんて決して言わない。


8.「豊かさは、得るものではなく、今すぐなるもの。」


成功者とは、「自分はもう十分豊かだという前提に立っている者」だ。
そのような前提に立てば、もはや自分に不足しているものを見つめ、手に入れる必要にかられることもなく、心は安定する。
心が安定した状態での退屈を、何を持ってしのぐか、それは、「他人を世話すること」である。
人の話を聞き、手を差し伸べ、導き、見守ることである。
人の世話をする行為は、さらに、自分に豊かな気持ちをもたらすものだ。


9.「怖がらないのではなく、怖いが冷静でいられること。」


恐怖に鈍いものは長生きできない。
戦場などでは、特にそうだ。
また、平和な社会での生活でも、死とまではいかないが、恐怖に鈍いがために大きな損害をこうむることがある。
強い人とは、「恐怖を知らない人」ではない。
怖がらない人でもない。
「恐いことは恐い。」
だが、それを心の片隅に退けておいて、冷静に行動できる人のことなのだ。


10.「置いてきた自分。」


昔、よく通った道。
何年かぶりに通る。
すると、むかしは見えなかったものが今、そこに見えるのだ。
それは、昔の自分である。
この道を通っていた自分だ。
その自分と、今の自分の違いが見える。
昔は、なんと無駄に生きていたことか。
そんなことさえ見つかってくるのだ。
この道を通る動機が、昔と今では違うという時。
今、この道の上に、「置き去りにしてきた自分」を見つけるのだ。


11.「意味あるの?」


大人になると人は、自分や人の行動に、意味を見出そうとする。
すると、行動に意味を見出すのが早くなるし、上手になる。
ところが、「意味があるものはやる、意味がないあるいは意味がわからないものは敬遠する」ようになりがちだ。
もったいない思考パターンだ。
こう考えたほうが楽しい。
「それをやることに、意味はない。ただし、はじめから意味はない。意味は、自分で創造して、くっつけるのだ。」と。
そして、「意味は自分で創造するもの」とわかれば、変わってくる。
「意味を創造してくっつけていくという意味が、すべての行動にはあるのだ」ということが。


12.「続かせよう。」


興味を無くしてしまった理由は、「途中でそれを止めたから」だ。
習慣が崩れたからだ。
興味は、続けることで復活する。
興味が薄れてきた時こそ、自発的に努力する必要がある。
興味があるときは、やりたいから、すぐにやれる。
いわば、AT(オートマチック)車を走らせているようなものだ。
しかし、興味が無くなってきた時は、MT(マニュアル)車つまり自力で自分を操作しなければならないのだ。
興味が失せてきた時こそ、努力やスケジューリングが大事なのだ。
そして、規則が必要なのだ。


13.「勝った時より、負けた時が見極め時。」


勝った時は、ギャンブルであれ、コンテストであれ、些細なゲームであれ、嬉しいものだ。
ギャンブルについて言えば、大抵の人が「大勝ちしたら、やめよう」と言う。
それで長々と小負けを続けている。
やめどきはしかし、負けた時なのだ。
負けた時、こう思う。
①やらなきゃ良かったと後悔する。
②まだだ!まだやってやる。
③楽しかった、もういいや。
本当は、①と②が出るなら、止め時なのだ。


14.「義務のない世界。」


非正規社員やフリーをずっとやっていると、心が苦しくなる。
出世して会社の中で中堅的な仕事を任されている同年代を羨ましく思うことがあるだろう。
と同時に、自分を責める気持ちが湧いてくる。
「自分はこんなところで何をやっているんだろう」と。
自己嫌悪が始まる。

しかし、だからこそ、人生について必死に考えるようになるのだ。
会社で生きれば、考えようと考えまいと、運ばれることがほとんどだ。
会社に与えられた仕事を遂行するという義務。
これが、「自分の人生を自分でどうするか」という心の働きを殺していくのだ。
自分の人生について、ほとんど何も考えなくなるのだ。
一体、どっちが義務のない世界なのか?


15.「冷静な熱中。」


大人の熱中とは、静かなものだ。
毎日自分で決めたことをコツコツやっている。
やっている時、それを行うことに対して、苦しいとか楽しいとかいう感じはない。
そうして気が付けば、360日やっている。
5年間もやっている。
大人の熱中とは、そういうものだ。
ひどく冷静なのだ。
それは、感情的に動いているのではなく、理性的に動いているからだ。
だから熱が冷めることはない。
実は、あまり熱されていない。


16.「飛ばない鳥。」


「鳥のように、空を自由に飛べたらな。
雄大な空を、どこまでも高く。」

ゆったりと、大きな鳥が飛んでいる。
その気持ち良さそうな、開放感に溢れる姿に、つい、そんな言葉が漏れる。
だが、人はやはり人だ。
いざあの大空の鳥のように自由になってみると、自由という空白が怖くなるものなのだ。
会社に通っては、「自由になりたい」と長々と思いつつ、いざ辞めてみると、空白の時間に耐えられなくなり、やがて再び自ら不自由になりに行くのだ。


17.「自分流を見つけよう。」


「下手の横好き」ということわざがある。
いろんな事に手を出すと、結局そのどれもにおいて成功することができないよという意味だ。
一つのことをじっくりと粘って、続けることが大事と言われる。
だが、それができない性格の人もたしかに居る。
例えばパチスロ
一つの台にあり金を全部投入して「出るまで打つ」人もいれば。
少し打って出なければ別の台にひょいひょいと移る人もいる。
そういう人は、ハマリを越えられない。
大勝ちできないタイプだ。
だが、そういう性格なら、あちこちで小さく勝って「勝ち逃げ」すればよいのだ。


18.「我を捨てる。」


我を捨てるというのは、文字通り我欲を捨てるということではない。
それは、「求めに応じた生き方をする」という事だ。
何かを捨てれば、それがあった場所が空白になる。
人の心は、空白には耐えられない。
悪しき事柄であっても、空白よりはマシと考えてしまうのが人の心である。


19.「自分を大切にする。」


自分を大切にするというのは、二つの意味がある。
①まるで新車や、新調したての高級革靴のように、丁寧に扱う。
②自分がここで力尽きても惜しくはないと考え、やりたいようにやれるところまで精一杯やる。
①は、外を大切にすることだ。
②は、内側を大切にすることだ。
どちらも大事ではあるが、外を大切にすることにウェイトをかけると、身動きがとりづらくなってしまう。
失敗や恥を恐れるようになるからだ。


20.「自分がいなくなっても大丈夫。」


「自分がいなくなっても大丈夫。後継ぎがいるから。」
という安心感が、外に執着することから自分を解放し、②を大事にするようになる。
自分は、自分のやりたいことをやろうと。
後継ぎがいるという安心が、自分の腹の底に自信をもたらすのだ。
それで、真剣に、大胆に、行動していけるようになる。
自分という人間を大切にするというのは、「世間から見た自分」、つまり自分の外側を大切にするというよりは。
「自分という個人が人類の歴史の流れの中でやろうとしていることを尊重し、実現を支援する」ということなのだ。


21.「場つながりから、目的つながりへ。」


自分のやりたいことがある。
それには、1人の時間が必要だ。
それをやっていると、必然的に友人と付き合う時間がなくなる。

一人ぼっちになって、しかし、はたと思う。
「友人との時間こそ、人生の楽しみだ。」
だが、時間を持てない。
ジレンマに陥り。
やりたいことを少し減らすか、友人を変えるかしかない。
そうだならば、友人を変えよう。

「場つながりの友人から、目的つながりの友人へ」変えるのだ。
友人と付き合ってなおかつやりたいことが加速的にできるようになれば、こんな楽しい人生はないだろう。


22.「究極の一彫り。」


真の彫刻家は、像の完成は結果に過ぎず、実は「究極の一彫りを目指している」という。
彫刻家というと、芸術的な彫刻作品を彫り上げる人と考えるが、彼らは作品の完成を目指していないというのだ。
作品の出来栄えよりも、究極の一彫り(自分の魂をすべて載せることができたとか、完璧な彫り具合だとか)ができた時、彼らは満足なのだ。


23.「カッコつけるとカッコ悪い。」


自分を自分以上に良く見せようと、いい服を来て、いい靴を履き、高級な小物をつけて、言葉を選び、カッコつけてみる。
だが、周りの人はその人と接して、カッコイイとは言わないのだ。
「ま、あの人なんか気取ってるね。」
あの人何か印象が薄いね。
何か緊張しちゃってる、ああいう人は苦手
なぜだ?
なぜそうなるのか?
かっこつけると、緊張するのだ。
だから、接する人も緊張してしまうのだ。
かっこつけると、自分らしさが殺されるのだ。
だから印象に残らないというわけだ。
印象に残るのは、その人らしさを前面に出して、生き生きしている人だ。


24.「結婚も就職も、目的ではなく手段だ。」


結婚も就職も、自分をより発揮するための手段だ。
それをすること自体が目的ではない。
ゆえに、「結婚や就職に自分を合わせていく」べきではなく、「自分自身に、結婚や就職を合わせていく」べきなのだ。
自分がよりよく発揮できるような状態にするには結婚した方がいい、というときは、そうすればいい。
結婚したいから自分を変えて行こうとすると、結婚すると自分がいなくなってしまう。
だから、結婚生活が続かない、もしくは続けていても苦しいのだ。


25.「免疫。」


反省することで、自分の中に免疫が生まれる。
クレームであれ、進路上の事故であれ、同じようなことがあっても動じなくなる。
がしかし、反省しても、「学ぶことができた。ありがとう。」
という、そのアクシデントに対する感謝の気持ちがないと、免疫機能が作動しない。
「またか!ちくしょう!どうなってんだ!」となるのだ。


26.「自分の反応が、自分に教えてくれる。」


何かをやろうと思った時。
「それは今、本当にやるべきことなんだろうか?」
と考えることがある。
しかし、その答えは、やってみないとわからないものだ。
かと言って、全部やる必要はない。
困難や、不具合に直面するまでやればいい。
困難や不具合に直面した時、自分がどう反応するか?
それによって、やるべきか否かがわかるのだ。
自分の反応が、自分に答えを教えてくれるのだ。


27.「しきたりは、時代が変わると芸術となる。」


その時代において、しきたり、常識として行っていたこと。
これは、それが禁止されるあるいは、まったく違う常識の時代になると、芸術の領域になる。
西洋建築や羽織袴などもそうだ。
映画「ラストサムライ」の、最後の侍の切腹
それは、もはや「生き芸」という芸術の域に達していた。


28.「自分を建設する方向に。」


損得より大事なのは、自分を建設する方向に進むことだ。
建設するとは?
やりたいことができるようになる。
よりスピーディーにできるようになる。
もっと上手に、楽にできるようになる。
ということだ。
それに投資するにしても、まったく別のことをするにしても、損もするし、得もある。
だが、建設方向への投資でない限り、自分は一歩も前へ進まない。
今の財産を確保して現状維持位置しているより、自分を建設するために投資を重ねた方が、最終的には楽しい人生という得を享受することができるのだ。


29.「石の上に3年。」


本当は、意志の上に3年だ。
せっかく、フリーターでいることを許されているならば、フリーターを10年続けてみればいい。
時間を使って存分に、自分のやりたいことをとことんまで突き詰めてみよう。
フリーターならば、会社員の常識にとらわれることはないから、実はかなり、高い質の仕事が可能なのだ。
自分の研究にとことん打ち込むことも可能なのだ。
石の上に座って、戦うべきは絶望と堕落だ。
とりあえず、テレビとプレイステーションを捨てよう。


0290プライベートメモ2014(1)(完)


0291プライベートメモ2014(2)



30.「男の頭の中。」


男性の頭の中は、各部屋に区切られている。
そして、「今はこれ」と、一つのことに集中できる。
集中しているというのは、一つの部屋に入っているというようなものだ。
外や他の部屋のことを意識しない。
例えば浮気が本気でできるのはそのような構造になっているからだ。
それはつまり、Aという部屋にA子がいて、そこに会いに行ってから、 B という部屋に待つ B 子に会いに行くという具合に、頭の中が切り替えられるからなのだ。


31.「女の頭の中。」


しかし、女性の頭の中は、どうやらそうなっていない。
女性と頭の中は、広大な一つの領域が存在している。
区切りがないところが男性と違うところだ。
ゆえに、家や友人関係などで嫌なことがあると、その不機嫌さを職場に持ち込んでしまうのだ。
しかし逆に一ついいことがあると、頭の中全体が暖かくなる。
それで初めて会う人や、いや知らない人にでさえ、明るく微笑んで優しく接したりできるのだ。
愛してくれる1人の人と出会うと人生全体が優しくなり、嫌な人とはとにかく離れたいという行動は、まさにこのような構造があるためだ。


32.「リズム。」


規則正しい生活が、無病息災、不老長寿の秘訣だ。
だが多くの場合、生活リズムは会社が作っている。
会社の出勤退勤リズムに合わせたリズムになっているわけだ。
つまり、会社に与えられたリズムだ。
本当は、まず本当の自分のリズムに乗って、それに仕事の時間帯を合わせていくようにするべきなのだ。
規則正しくしていても、それが本当の自分のリズムでなければ、効果は薄いのだ。
効果が薄いというよりも、自分のどこかが削り取られていく。


33.「自分の世界を持とう。」


一つのことにとらわれるのではなく、一つの世界を持つことだ。
一つの事にとらわれるべきでないと言って、いろんなことに手をつけてみても、それこそ、「下手の横好き」という言葉通り、どれもこれも上手にできない。
また、自分の成長もない。
自分の成長とは、「この世界でより自分らしくあれること」だ。
そうなるためには、自分の世界を持つことだ。
自分の世界それは、魚にとっての水(川や海)という場所的なものではなく。
自分の価値観、自分の出世コースを持つという、内面的なものだ。


34.「成長。」


成長とは、より自分らしくなることだ。
友人が遠ざかろうと、職を失おうと、それと引き換えに時間と自分を投入して行っている物事。
これが「より自分が色濃くなってくる。自分らしくなれる。」物事なのであれば。
それは成長につながっていることだ。
就職、結婚、昇格、定年といった、まるで各駅停車の JR に乗っているような路線では、自分の本当の成長ができにくいのだ。
人が作った成長の路線だからだ。
人が作った成長の路線は、自分の成長の路線と必ずしも重ならない。
「サラリーマンは、税金を安定して納めさせるための作物だ」なんて言われて、悔しくないか?


35.「モチベーション。」


モチベーションを落とさないことだ。
モチベーションが落ちてくると、自信も無くなってくる。
すると、この先こんなことをしていていいのだろうかなんて、不安も頭をもたげてくる
すると、もう自分らしさを追求するのをやめようか、この道を降りてみんなが乗っている JR(人生レール) に乗ろうか。
と考えるようになってしまう。
ところが、他の人と迎合すれば、今度はここに居る理由すら失う。
「自分のやりたいことをやっておけば良かった」などと、晩年になって嘆くほど不幸な人生はない。


36.「オープン。」


オープンな自分とは、他人と関わる自分だ。
他人から吸収したり、他人に与えたり、放出したり、まるで呼吸をするように。
それを積極的にやっていくコトが、オープンな自分というものだろう。


37.「オープン2。」


自分が確立していない(自分の道をまだ見つけていない、歩んでいない)時に、オープンしてしまうと、かえって他に流されて自分を失ってしまう。
まだ体がきちんとできていないのに卵を割って、ヒナを出すようなものだ。
オープンになるにも、前準備が必要だ。
前準備それが、「自分(の道)を見つけること」だ。


38.「自分の道。」


まず自分の道を見つけること。
そしてオープンになること。
この順序を間違えると、自分の中に、偽物の道がたくさん生まれてしまう。
つまり、自分を見失った状態。
それを歩んでしまうと、結局人生で、なにがしたかったのかわからないまま年を取ってしまう。


39.「なぜ人生がつまらないのか?」


1人で行っても楽しい人は、誰かとつながっている人だ。
1人で行っても楽しそうな人は、誰かを愛している人だ。
誰かのためにと動いている。
心がオープンだ。
家に帰ると暗くうつのようになる人は、心がクローズしている。
そんな時、誰にも声をかけない。
誰も愛していない。

仕事ではハキハキしているのになぜ?
仕事をしている時の事を思い出してみよう。
きっと、他人のためにと、せっせと動いていたはずだ。
つまり、心がオープンになっていたのだ。

1人になった時、うつ的にならないようにするには、心をクローズしないことだ。
誰かに話し掛けていく。
誰かにあげるものを作る。
そうやって、オープンにしていくコトだ。

「人生がつまらない」という人は、そういう瞬間、心がクローズしている。
誰かから愛されたいと願うだけで、誰も愛そうとしていない。
だが、人生を楽しくするためには、愛していくこと、つながっていくことだ。
愛されているから楽しいのではない。
愛していく行為が楽しいのだ。


40.「真実。」


例えば、資格をいくつも持っている年下の人に、「資格なんていっぱい持っていたって要は実務能力なんだよね」と非難する。
しかし、非難しつつも、その人の将来展望が自分のそれよりも明るいように感じて、うらやましくなる。
しかし、今の自分で落ち着きたいから、その率直な感じ方を抑圧して、「なんだあんな形だけのヤツ、今につぶれるに違いない」と考える。
他人否定をすることで、相対的に自己肯定を作り出しているのだ。

しかし、そうしたところで自分は今のここから一歩も動いていないのだから、一歩も成長しないのだ。
彼は彼なりに頑張っている。
それでいいのだ。
と考えることだ。
自分は資格を何一つ持っていない。
それはそれでいいのだ。
と考えることだ。

他人を肯定する。
そして、自分を肯定する。
他人を肯定する時、自分も肯定しやすくなるものだ。
その時、真実が見えてくる。

「では、今から自分はどうするか?」
「何でもチャレンジできるじゃないか」
それが見えてくる。
資格、取ろうかとか、今やっていることを深めることに専念しようとか。
こうすることで、成長は阻害されない。


41.「リンク。」


つらい経験が、自分を強くしてくれる。
つらい経験をしたほうがいいのだ。
それで自分が強くなるからだ。
といっても、心が逃げていたら強くならない。

つらい経験をして、強くなる人とならない人は、どこが違うのか?
それは、心が逃げているがいないかの違いだ。
「つらい経験」を、「自分を強くするという結果」に直結させるためには、リンクさせるキーが必要だ。
そのキーこそ、「逃げない」ということだ。
つらいままでいいのだ。
つらいままでいよう。
そこに、新たに見えてくるものがあるから。